2004年2月1日星期日

雑草の恋物語

本気で愛した事ありますか?その愛の気持ちを続いていますか?又は、愛した事を後悔していますか?いずれにしても、あなたはきっと愛の喜びと悲しみを味わった事あると思います。

日本に来て二年目のことでした。お金なく、貧しい生活を毎日送った私、必死にバイトしていました。もちろん、勉強もがんばっていました。そんな環境の中で私には恋心を生まれるなんて思ってもいなかった。

ある日、バイト先の中華料理屋に新しいバイトさんが入った、かわいい女の子でした。○○大学の一年生で、19歳とか簡単の自己紹介から知っていました。記憶力あまりよくなかった私は彼女の名前も覚えていた、----長谷川 麻美。

その時、店にスタッフとして一緒に働いた人は奥さん以外、村上お婆さんと夏候君でした。村上さんはもう還暦の年齢ですが、いつも元気よく、やさしいおばあさんでした。夏候君は私と同じ、中国からの留学生で、まだ日本語学校にいました。(今は大学生でしょう)。奥さんも冗談好きの人で、とても明るい職場でした。

先輩である私は飲食業に長く働き経験があり、一番仕事できる人だったと思っていました。仕事以外も社長とかほかの人と仲良くできました。仕事はどんな忙しくても、私はいるから大丈夫ってみんなから言ってくれました。まるで自分はその店の主役でした。その中で、私の働き姿に惹かれてしまった人がいました。

いつもの通り、仕事を終え、皆帰ってあと、私もレジを閉め、今日の売上金を社長に渡してから、社長と同じ趣味のパソコンの話をしていました。思ってもいなかった一通のメールが届いていました。

「今日もお疲れ様でした。そんな忙しい中、ミスだらけの私に気をつけたこと本当にありがとうございます。ところで、海悠さんは私のことって子供しか思えないですか?」長谷川さんのメールでした。確かに、その日は忙しかった。料理を何度も間違った彼女に「大丈夫、ゆっくりでいいから」、「子供だから、許してあげる」など、声をかけました。その時どんなメールを返していたかもう覚えていませんが、それから、メールを毎日のように二人で送っていました。その中、こんなメールがありました。

「ゴウさんはみんなに優しいですけど、でも私みたいな子供に傷つくかもしれないよ。」

初めて二人きりになったときのことは今もはっきり覚えています。残業で二人だけ残っていました。毎日バイトと勉強しかわからなかった私は恋なんかもう忘れていたと思いました。少なくとも、彼女のその微笑を感じる前まではそう思いました。「海悠さんいつもすごくがんばっていますね。」仕事が終わりごろ、彼女はそういいました。「まあ、がんばらなきゃ、、、」頭を上がった瞬間に彼女と目が合いました。その目に埃なし、清水のように私の心の底まで清めていました。その無邪気の顔に一目惚れでした。その日、そのとき、その一瞬で、封印していた私の心が動いていました。

「海悠さん、私の顔汚れている?」

「いやいや、」私は笑いながら、「おかなすいたでしょう?一緒にご飯に行かない?」女の子大苦手の私は思わず彼女を誘いました。貧乏の私はしばらく食べたかった焼肉屋に行きました。

「お酒はだめよ、まだ二十歳になっていないから」

いつも優しいお兄さんのような私はそういいました。

でも「私、もう子供じゃないから」って言い返しました。そして、彼女はカクテルを注文しました。今思い出しても、その夜のご飯はおいしかったと思います。ご飯を食べ終わっても彼女ともうちょっと一緒にいたいですが、次の日にハードな勉強とバイトが待っていますから、しょうがなくわかれました。

多分その一瞬で惚れた私は最初から悲しみを味わうことを決まっていたかもしれなかった。そのときの私は恋する資格はなかったと思います。でも、初めてのデートはその後すぐでした。一緒にしゃべりながら、ケーキをたべて、映画も見ました。ここまでよかったのに、遊び放題センターに行こうって、私は言い出しました。でも、ちょっと遠いので、私は友達を呼び出して、バイクで彼女を送ってもらいました。情けない私はタクシー代を節約するためでした。その後も私の友達と三人で遊びました。今考えると、それは私の失敗の始まりでした。

同じ職場にバイトをしている私たちは、いつもの通り仕事をしていました。バイトをやめるまで、誰も私たちの展開が知らなかった。当時、自分から動いた恋はまだなかった私は大ばかだったって、今は思います。彼女とずっと一緒にいたい気持ちだが、毎日忙しくて、メールをする時間も惜しかった。そして日本語も難しかった。恋って言うものはがんばってもいい結果でないことが多いと思います。彼女とたびたび会いますし、仕事も一緒にいるのに、自分はどんなことしたらよいかわかりませんでした。店の厨房に働いているの慰さんって言う男がいました。いつから彼女と彼の話は多くなっていたかも気ついていなかった。ある時、「彼女は私の新しい恋人だよ」って、慰さんが冗談で言いました。「お前、彼女に…」、私は怒りそうでした。でも話は途中で止まりました。私はお前、彼女に手を出すなって言いたかった、でも彼女は私の彼女ではありません、私と彼女の関係は慰さんにもわかりません、怒りを抑えていた私は無言でその場を去っていました。自分は弱気になってしまいました。その弱い私はいまだに憎んでいます。もしそのときに戻ることできたら、私の人生も変わるでしょう。

それは慰さんのただの冗談だと思い、やはりバイトと勉強に励んでいました。学校で日本語一級合格し、いくつの資格も取りました。学校の優等生であった。でも、恋はまったく進んでいませんでした。しかも、自分の中では彼女のこともっと好きになっていました。彼女の微笑を見るだけで疲れを忘れます。週末が再び来ました。彼女と寸劇を見ることになりました。バイトが忙しくて延長になってしまった、待ち合わせ場所に行った時もう三十分も遅れていました。劇場のスタッフに聞くと、寸劇もう始まっています。彼女もう入っていました。スタッフに案内され、彼女の隣に座りました。目で謝って、自分は苦笑いしました。バイトで疲れた私は寸劇に興味がなかった上に、眠ってしまいました。それより、涎も流れっていました。その時点から私は彼女の彼氏になる資格はなくなったと思いました、、…日の帰りに、彼女は何かいいたがっていた気がしました。

クリスマスやってきました。ワークマシンの私も彼女にプレゼントをしたいと思いました。彼女はChristmas tree がほしいって言った記憶があったから、クリスマスの一ヶ月前に黙ってChristmas tree を送っていました。いつものとおり、バイトが終わったのはもう夜十時半でした。例のラーメン屋においしいラーメンを食べていました。食べているところに彼女からメールがありました。

「海悠さん、すみません、そのChristmas tree を受け取ることができません、だって私はゴウさんの彼女じゃないから。」

その夜、おいしいラーメンが半分も残りました。

まだあきらめていない私は改めて彼女の家に行って、告白することにしました。とても見苦しい告白でした。知りたくなかったこともひとつありました。それは彼女が慰さんの事好きになったかもしれないって言うことでした。そのときの私はもう思い出したくないんだ。ただ、自分の日記に、2005年11月14日、災厄の日って書きました。

彼女に出会ってからいろいろを思い出し、恋の経験が浅かった自分のこと許せなかった、ワークマシンみたいな自分のことも許せなかった。そしてすべてのバイトをやめました。学校で奨学金をもらっている私は単位もう十分卒業できます。暇になった私の唯一の友達はお酒でした。自分の部屋はまもなく、空瓶、から缶の世界になりました。人生初めての恋心はお酒と一緒に飲み込んで、トイレに流れました。そんな日々の間も彼女と何回あったこともありました。なぜ会うか、何のためあうか、どんなことを話したか、まったくわかりませんでした。中華料理屋の忘年会の後も彼女と朝まで一緒にいました。お酒を水のように飲んでいました。最後まで彼女と抱き合うことなかったって言うか、彼女を抱きしめる勇気がなかった。

お酒のおいしさを味わう日々を続いていました。もし、その友達来ないと、今の私は日本にいないでしょう。自分はどうなっているかもわからないでしょう。お正月の夜、ずっと電話に出ない私のことを心配で、親友はバイクで私のところに来ました。一緒に飲みたいって思っていたそうです。でもその腐った私の部屋の光景を見たら、親友は私を連れ出した。バイクの後ろに乗っていた私も飲み続けました。一月の寒い風にも感じませんでした。終点はひとつの知らない山の山頂でした。その都市を一覧できるところで、きれいな夜景でした。そこで、その知り合った10年の親友が僕と一緒に一ケースのビールを飲んでいました。

「お前、ここから見ろ、ここは日本だ、お前の家族は海の向こうにいる。お前の友達も、家族も向こうでおまえをまっているんだ。日本に来た時の事がまだ覚えているか?そのときの俺たちは、お金がなく、学費さえなかったんだ。毎日カップ面をばっかり食っていた。そんな苦労した日もあったんだ。なのに、今のお前見て見ろ、その元気の姿はどこにいた?ただひとつの恋の失敗で、こんなに落ち込むのか?このまま続くと、お前はこの島国に死んでもいいのか?お前の家族をほっといてもいいのか?」彼の言葉は花火のように私の心に落ちて、広がっていた。そうだ、私はこのままにすると、弱者になってしまうんだ。でもなってはならない、私はまだ親孝行していない、弟の面倒を見ないといけない。心の底からわいてきた熱血がありました。お酒でしびれた心臓も働きました。山頂に立って、一望出来る都市のナイトが眩しく感じました。

2006年2月、ちょうど中国の旧正月、我が学校の留学生たちはまだ卒業のため一生懸命勉強しているとき、私は中国の実家に飛びました。二年ぶりに会った家族と村人がお客様のように私を迎えてくれました。そのとき、恋より重たい責任を感じました。その人たちの気持ちと期待を答えるように、がんばれる気持ちを持って日本に戻りました。そして、ほかの留学生やっと卒業し、国に帰らないといけない三月に、私はある日本の大手会社に就職することになりました。やっと気持ちを切り替えて、その影から抜き出した私はその思い出がいっぱいある四国から脱出し、東海に来ました。今も、がんばり続けています。

前日、長谷川さんは中国に留学しに行くこと、中華料理屋の社長から聞きました。一年ぶりに彼女にメールをしました。

「久しぶり、海悠です。中国に留学って聞いたよ。すごいですね。おめでとう。春休みにゆっくり休んで、中国に行ったらがんばってね、いつも応援します。長谷川さんとメールできることうれしいです。ありがとう。バイバイ…」

後書き

私は雑草ではありません、でも私は雑草のように、強い生命力をもち、どんな苦しい環境にも負けずにがんばって生きたいと思います。この文は雑草とまったく関係ありませんが、その題名はただ自分の思い込みでした。

長谷川さんとの物語はまだ終わっていないかもしれません、その当時の気持ちはすべて消す事はできませんでした。でもどんなことがあっても、もう二度と人生を諦めることがしません。ただ、彼女はいつも幸せに過ごせるよう、祈り続けています。

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