2004年2月29日星期日
我命休矣
这是一篇关于睡眠时间和死亡率关系的调查报告。虽然是日语文章但是简单易懂。
死亡率低い7時間睡眠、日本人11万人の調査結果:
日本人約11万人の睡眠時間を調べたところ、7時間(6.5-7.4時間)の人が死亡率が最も低く、それより長くても、短くても死亡率が高くなることが約10年間の追跡調査で分かった。米国の大規模調査でも7時間睡眠が最も死亡率が低かったが、今回、日本人の大規模調査でも同様の結果となった。
▽4時間以下は2倍の死亡リスク
調査は名古屋大大学院の玉腰暁子助教授(予防医学)らの共同研究グループが文部科学省から研究費を受け、北海道から九州まで全国45地区で1988年から実施。今回は99年までのデータを分析した。
平日の睡眠時間を1時間ごとに区切り、年齢調整をした上で死亡リスクを比べると、男女とも7時間睡眠の人が最も死亡率が低かった。
死亡率は7時間を底に、睡眠時間が長く、あるいは短くなるほど高くなり、7時間の人に比べ、4時間以下(4.4時間以下)では男性で1.62倍、女性で1.60倍高かった。10時間以上(9.5時間以上)では、男性で1.73倍、女性で1.92倍だった。
「睡眠時間というのは、一概に生活習慣と言いきれないところがある。自分で決めているだけではなく、仕事や家庭などの社会環境やストレス、病気などの影響も受けている」と玉腰助教授。
そこで、ストレスや病気、喫煙、飲酒などの影響を除いて調整したところ、男性では短い睡眠時間では死亡リスクは上がらないが、女性では4時間以下の睡眠時間では、7時間と比べて約2倍に上昇することが分かった。7時間より長い睡眠では、男女とも死亡リスクを上げるという傾向には変わりなかった。
▽大事な睡眠の質
短時間睡眠で男性の死亡リスクが下がらない理由は明らかではない。「男性は仕事をしている人が多いことから、仕事に関する要因が睡眠時間を短くしている可能性がある」(同助教授)。
今回、あらためて7時間寝ている人が長生きしている結果が出たが、だから睡眠時間は7時間がいいとは言えないという。
確かに、睡眠時間が極端に短くなれば、循環器や免疫機能に影響が出てくることが考えられるが、逆に長いとなぜ死亡率が上がるのか生物学的には、まだ分からないとされる。
玉腰助教授は「集団で見ると7時間寝ている人が死亡率が低いということ。実際に7時間がよいかどうかを調べるには、睡眠時間の長い人や短い人を7時間にしてみる介入実験が必要。睡眠はやはり質が大事だと思う」と話している。
2004年2月27日星期五
老後

中国语 老后 每一个人都会老,而且会死。这是自古不变的真理,而且也不能变。不过,一旦拥有了权力,就开始做一些像寻找长生不老的药这类愚蠢的事。普通市民由于没有这闲功夫,所以只有任其衰老。常听到人们问,我们为什么而活?我不太明白。不过,我想人是“为了更好地死而活”。为此,我希望健康乐观、长生不老。
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女性の知恵
米国が植民地(しょくみんち)だったころ、女性たちは布不足に悩んだ。綿花(めんか)はとれるが、織り機(おりき)がない。英国の植民地政策で機械を入手(にゅうしゅ)できなかった。彼女たちは古くなった衣服から良い部分だけを取り、つぎはぎの服や寝具ねぐを縫った。パッチワークキルトの始まりだ。いつしか結婚する前に12枚、婚約したら13枚目を縫う習慣になった。歴史の浅い米国の貴重な文化財である。 日本でも同様のものがあった。布の端を縫い合わせるので、端縫いと呼ぶ。たくさんの布を綴(つづ)るという意味で百綴(ももつづ)りともいう。子供には、健康を祈って元気な人たちが着た布で作った。写真は東北地方の幼児用綿入(わたい)れで、着ると背が丸くなるので亀衣(かめこ)という。 長い間使っていると、何でも劣化(れっか)する。江戸末の布は黒、茶、青などの劣化が激しい。これらの染料あるいは媒染剤には鉄が含まれている。水分などが長期間作用すると、金属の化学的性質が変化し、セルロースの結合を切る。大切な文化財(ぶんかざい)がぼろぼろになる前に、健全にする方法を見いだせるとよい。
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中国语 女性的智慧 美国还是殖民地的时候,女性们曾为布的不足而苦恼。虽出产棉花,但却没有织机。因英国的殖民地政策的关系,机械是没有的。她们只好从穿旧了的衣服上裁下较好的部分,缝制成满是补钉的衣服和寝具。这就是“缝制花纹”的开端。不知不觉间,这成了一种习惯,就是结婚之前要缝12件,如果定婚了再缝第13件。这些东西成了历史较短的美国的贵重文物。 无独有偶,日本也有同样的东西。因为缝制用布都是些布的边角料,故呼为“端缝”。由于是把很多的边角料连在一起,故又称为“百缀”。对于孩子来说,穿用健康的人们穿过的布做成的衣服,则有祝愿健康的涵义。照片是东北地区的幼儿用的防寒服,穿在身上,后背园园的,所以称为“龟衣”。 什么东西用长了都会变质。江户末期,黑,茶,蓝色布的变质就十分严重。在这些染料或媒染剂中含有铁,在水分等物质的长期作用下,金属的化学的性质会发生变化,并阻止纤维素的结合。这些重要的文物在变得破烂不堪前,最好能找到一种使其完美保存的方法。
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单词:
入手(にゅうしゅ):得到
つぎはぎ:缝缝补补
パッチワークキルト:缝补花纹
いつしか:不知不觉地
綴(つづ)る:缝补
セルロース:纤维素
ぼろぼろ:破破烂烂
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中国语 女性的智慧 美国还是殖民地的时候,女性们曾为布的不足而苦恼。虽出产棉花,但却没有织机。因英国的殖民地政策的关系,机械是没有的。她们只好从穿旧了的衣服上裁下较好的部分,缝制成满是补钉的衣服和寝具。这就是“缝制花纹”的开端。不知不觉间,这成了一种习惯,就是结婚之前要缝12件,如果定婚了再缝第13件。这些东西成了历史较短的美国的贵重文物。 无独有偶,日本也有同样的东西。因为缝制用布都是些布的边角料,故呼为“端缝”。由于是把很多的边角料连在一起,故又称为“百缀”。对于孩子来说,穿用健康的人们穿过的布做成的衣服,则有祝愿健康的涵义。照片是东北地区的幼儿用的防寒服,穿在身上,后背园园的,所以称为“龟衣”。 什么东西用长了都会变质。江户末期,黑,茶,蓝色布的变质就十分严重。在这些染料或媒染剂中含有铁,在水分等物质的长期作用下,金属的化学的性质会发生变化,并阻止纤维素的结合。这些重要的文物在变得破烂不堪前,最好能找到一种使其完美保存的方法。
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单词:
入手(にゅうしゅ):得到
つぎはぎ:缝缝补补
パッチワークキルト:缝补花纹
いつしか:不知不觉地
綴(つづ)る:缝补
セルロース:纤维素
ぼろぼろ:破破烂烂
友情について
人生において友情ほど大切なものはなく、友人ほど尊くありがたいものはありません。
このことをわたしは、おざなりな軽い気持ちでいっているのではないのです。
軽い気持ちでいうなら、人生において恋愛ほど大切なものはないともいえるでしょうし、夫婦の愛ほど大切なものはないともいえるでしょうし、親子の情についても、あるいはまた仕事・勉強・健康等々、いろいろなものについて、人生においてこれほど大切なものはないといえるでしょう。
これら一つ一つのものが、それぞれ人生において最も大切なものだということは、必ずしも間違っているわけではありませんが、十分に考えられた上での判断だとは思えません。
むろん、人生を形成しているさまざまな大切な要素を比較して、そのうちのどれがいちばん大切かといったことを議論しても、あまり意味のないことでしょう。
どれもが大切なのです。
にもかかわらずわたしたはは人生のさまざまな要素を考えた上で、友情ほど大切なものはない、といいたいのです。
一つには、それがわたしの人生でのあまりにも確かな体験で、友人の存在を何よりもありがたいことと日ごろ思っているからですし、一つにはまた、理屈で考えてみても、友情は、あらゆる人間関係の中で最も恒常的なもの、永続的なものであり、恋人・夫婦・親子・兄弟姉妹、あるいは職場その他での交際といったいろいろの関係の中でも維持されるべき基本的なものだからです。
わたしたちの人生は、結局のところさまざまな人間関係にほかなりませんが、いろいろな関係の中で、友情は特に人間的な関係です。
家族のつながりや恋人総合の関係にもそれぞれ深いものがあるにしても、そういったものの中には、ある意味で動物的な要素、自然的・本能的な要素があります。
これに反して友情は、人間特有の、人間でなければ持つことのできないものです。
人間は社会的動物であるといわれますが、単に多数の者が集まって共同生活をすることが社会的であるとするならば、それは必ずしも人間特有のものではないでしょう。
家族も社会も、それが人間を人間たらしめるものであるためには、友情を根底にしているものでなげればならないと思われます。
恋人は恋人であって同時に友人である、夫婦は夫婦であって同時に友人である、親子兄弟は親子兄弟であって同時に友人である、こういった恋人・夫婦・親子兄弟こそ、理想的な恋人・夫婦・親子兄弟ではないでしょうか。
友情がこのように人生において最も大切なものであり、すべての人間関係を成り立たせる基礎的なものであるのは、それが最も人間的な関係、本能的な欲望や打算的な利害に動かされることの最も少ない関係だからであり、心と心との親密な触れ合い、言葉では言い表せない深い共感、他のものを目的にしない純粋な信頼の気持ちだからです。
友人といっても、むろんいろいろの種類があり、親しさの程度もさまざまです。
しかし、ここでわたしが述べているのは、本当の友達、真の友情で結ばれた親しい友達のことです。
本当に理解し合うことのできる、信頼し含うことのできる友達、そういう友達をわたしたちは常に求めています。
そういう友達はそうたくさん必要ではありませんし、また実際問題としてそうたくさんはできないでしょう。
しかし、少数でもよい、一人でも二人でもよい、もしそういう友達を見いだすことができれば、それはわたしたちの人生の最大の宝、生きていく上での最も大きなカと喜びを与えてくれるにちがいありません。
本当の友達は、多くの場合、若いときからの年来の友人、学校時代あるいは二十歳前後のいわゆる青春時代からの友人です。
大人になってから、殊に三十歳を過ぎてから、心からの親友を見いだすことは、ないことはないでしょうが、なかなか困難なことです。
わたしの場合でも、親友の大部分は学生時代からの友人です。
だから学生時代に、あるいは二十歳前後の若いときによい友人を発見することは極めて大事なことですが、なぜ若いときの友人が一生の友人になることが多く、それに比べて大人になってからでは親友ができにくいか、このことを考えてみると、友情とは何かがかなりはっきりしてくると思います。
その人の存在だけでこちらが慰められ励まされるような友達、生涯続いて変わらない美しい友情、こういったものが若いときに作られることが多いということは、そういう若い時代には各自が素直に人生に直面しており、したがって素直な自己をさらけ出して生きているので、心と心が素直に触れ合うことが多いからでしょう。
言い換えれば、青春の時代にあっては、打算的・功利的な考えで人と交際することが、大人の社会に比べて少ないからでしょう。
一口に友人といっても、その種類や程度はさまざまだと前に申しましたが、世間には単に利害関係だけで結ばれている友人関係や、利害関係だけでなくてもごく表面的な関係だけで交際している人を友人と呼んでいる場合が、たいへん多いのです。
利害関係だけで結ばれているならば、その利害関係の変化によって、今まで親友のように交際していた人どうしがたちまちかたきのようになってしまうこともあるでしょう。
それは決して友達とはいえません。
また単に表面的なこと、例えばクラスが同じだとか、趣味が似ているとか、職場が一つだとかということで友人になっている場合があっても、それはそれでよいでしょうが、これだけでは生涯の友人にはなれません。
なぜなら、本当の友情とは心と心の触れ合いですから、表面的なことだけでは成立せず、互いの真実をぶつげ合う素直な気持ちが必要だからです。
大人になってからは親友ができにくく、若いときにこそ真の友情を見つけることができるのは、自己の真実を裸のままで示す素直な気持ちを若い人々は持っているのに、大人になるといろいろなカラが出来てしまって、自己を開き示すことが少なくなるからでしょう。
ということは、友情の成立に必要なのは、必ずしも若さということではなくて、人生に対する真実な気持ちを開き示し、また、他人のそのような気持ちを受け入れる心の素直さです。
言い換えれば、人生に対する真実な気持ち、自分自身に対する城実さ、これなくしては友情は得られず、逆にまた、これさえあれば若くても若くなくても真の友情を得ることができるにちがいありません。
友情における相互の信頼というものは、人生に立ち向かうこの真実さを相互に認め合うことですから、性格や意見がどのように違っても、外的な環境がどのように違っても、そういった相違を超えて成立するものですし、これは相互の生き方の最も深いところでの信頼ですから、生涯変わることなく続くのです。
こういう信頼は、当然、相手に対する尊敬を伴います。
人生に対する真実真剣な態度ほど尊敬すべきものはないのですから、信頼が尊敬を生むのは当然です。
信頼を持って人に接すれば、わたしたちはそこに自分の持っていないさまざまな長所を発見し、それを尊敬し、そこから学び、それによって励まされます。
逆にまた、そのような信頼を友人から寄せられるならば、それに勝る大きな慰めと励ましはないでしょう。
なぜなら、人生への真実という点での信頼は、心の最も深いところでの信頼であり、他の何ものによっても動かされることのないものだからです。
人がなんといおうとも、世間がどんなに目分を誤解しようとも、友人だけは分かってくれていると思うことができるのは、なんというありがたいことでしょうか。
(終)
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论友情人的一生中,再没有比友情更重要、更宝贵和更难求的东西了。
这并不是我随便说出的冠冕堂皇的话,如果随意说,那还有许多重要的东西。
比如还可以说,人生中最重要的东西莫过于恋爱、最重要的莫过于夫妻间的爱,父子情、工作、学习、健康等等,许多都是人生中非常重要的东西。
如果说每一个都同样重要,未必不对,但这些都不是我们经认真思考后所下的判断。
当然,我们若再去讨论比较构成人生的各种重要成份,并从其中选出一个最重要的来,也并无太大意义。
因为哪一个都重要。
虽说如此,我在认真思考人生的各种要素后还是想说:再没有比友情更重要的了。
理由有二,其一,这是我人生中非常切实的体会,因为我时常觉得朋友的存在对我十分地珍贵。
其二,就是从道理上来说,友情是所有人际关系中最自然、是持久的感情。
是包括恋人、夫妇、父子、兄弟姐妹、工作单位以及我们所交往的范围在内的所有关系中应该维护的基本的感情。
归根到底,我们的人生就是各种人际关系,而友情则是其中最有人情味的关系。
在维系家庭和恋人间的相互关系中,即使其中含有更深刻的东西,实际上在某种意义上也含有动物性的要素和自然的、本能性的要素。
与其相反,友情则是人类特有的、非人类所不具备的感情。
人们都说,人类是社会性的动物,如果单单把多个人集中起来共同生活称为社会性的话,那未必人类所特有。
无论家庭还是社会,为了使我们人类有别于其它动物,那就必须以友情为基础。
恋人同时也是友人,夫妇也是友人,父子兄弟姐妹当然也是友人。
但这些恋人、夫妇、父子兄弟姐妹并未必就是我们理想中的、最重要的人。
之所以说友情对人生这样地重要,是能够组成所有人际关系的基本感情。
是因为它是最人类化的、是受动物的本能、欲望和私利等利害关系驱动最少的关系。
它是心与心的亲密接触,是不能用语言表达的共同感觉,是不以其它为目的纯粹的信赖感。
当然,即使称为友人,也有各种类型,亲密程度当然也有差别。
但是,我在这里所谈到的是真正的朋友,是以真挚的友情联结的亲密朋友。
真正能够互相理解、互相信赖的朋友,我们一直在寻找的那类朋友。
这类朋友并不需要很多,实际上也不可能有太多。
但是,少也没关系,一个、两个也可以。
如果能找到这样的朋友,那将是我们人生中的最大财富,他一定会给我们生活带来最大力量与喜悦。
真正的朋友,多是青年时代就开始交往的、多年的友人,也就是学生时代或20岁上下的所谓青年时代的友人。
成人以后,特别是过了30岁以后,找到内心相通的知心朋友,即使可能也是相当地困难。
就像我吧,大部分知心朋友都是学生时代的友人。
所以在学生时代或者说20岁上下的青年时代能找到知心朋友是极其重要的。
那么,为什么年青时的朋友大多容易成为终生的朋友。
而长大以后的朋友就难了呢?如果我们能仔细琢磨一下这个问题,我们就可以弄清楚友情到底是什么。
只要他存在,我就觉得一种宽慰与鼓励。
这类朋友,拥有终生不渝的最美好的友情,这种感情大多是在青年时代才能形成。
原因大概就是在青年时代,各自都能坦诚地直面人生,相应地,每个人都以真实的自我生活着,所以心与心的真诚接触就会多一些。
换句话说,与成人社会相比,在青年时代所遇到的、以自私、功利的思想与人交往的人要少许多。
如果用一句话概括朋友,就像前面说的,其种类与程度有许多,但是在这个世界上,我们多把以利害关系联结起来的友人关系和即使不以利害关系联结,而只以极其表面化的关系交往的人称为朋友。
如果只以利害关系联结的话,那么过去曾象朋友一样交往的人,因利害关系的变化有时立即会变成你的对头。
实际上这绝不能称为朋友,另外,只是表面上的,例如因班级相同,趣味相似,同一单位等而成为朋友的,这当然很好,但只有这些还不能成为终生的朋友。
为什么呢?由于真正的友情是心与心的接触,所以只以表面现象为基础是不能成为朋友的,而需要互相拿出真实与坦率的自我来碰撞。
成人以后,难以找到知已,而年青时容易找到纯真的友情,这是因为,年青人更愿意坦诚地把真实的自我裸露在他人的面前,而成人以后,就会有各种虚伪,很少能自己打开心扉。
这样说来,友情所需要的不一定是年青,而是自己面对人生的真情实感,还有就是接受对方这类情感的坦诚度。
换句话说,如果没有面对人生的真情实感,面对自己的诚实程度,你将不能获得友情,反之,如果有了这些,则无论你年青与否,一定能够获得真正的友情。
友情所维系的相互信赖关系是因为相互承认对方面对人生的真情实感。
所以无论双方性格与意见有多大的不同、周边环境有多大的差别,友情都会超越这些差别而形成。
并且,由于这是出自双方心灵深处的信赖,所以可以持续终生。
当然,这种信赖还包含了对对方的尊敬,因为再没有比以真诚的态度面对人生更值得尊敬的了。
所以,由信赖升华为尊敬是当然的。
如果以信赖的态度与人交往,那我们就会发现对方拥有许多我们所不具备的优点,从而去尊敬它,学习它,并受其激励。
相反如果这种信赖被友人抢走,那么你就不会获得胜过他的安慰与鼓励了。
这是因为基于坦城面对人生所形成的信赖感,是来自心灵最深处的信赖感,这种信赖感不受其它任何东西所驱使。
无论他人怎么说,无论世界如何误解自己,只要能感到友人的理解,那就是最大的幸福!(完)
このことをわたしは、おざなりな軽い気持ちでいっているのではないのです。
軽い気持ちでいうなら、人生において恋愛ほど大切なものはないともいえるでしょうし、夫婦の愛ほど大切なものはないともいえるでしょうし、親子の情についても、あるいはまた仕事・勉強・健康等々、いろいろなものについて、人生においてこれほど大切なものはないといえるでしょう。
これら一つ一つのものが、それぞれ人生において最も大切なものだということは、必ずしも間違っているわけではありませんが、十分に考えられた上での判断だとは思えません。
むろん、人生を形成しているさまざまな大切な要素を比較して、そのうちのどれがいちばん大切かといったことを議論しても、あまり意味のないことでしょう。
どれもが大切なのです。
にもかかわらずわたしたはは人生のさまざまな要素を考えた上で、友情ほど大切なものはない、といいたいのです。
一つには、それがわたしの人生でのあまりにも確かな体験で、友人の存在を何よりもありがたいことと日ごろ思っているからですし、一つにはまた、理屈で考えてみても、友情は、あらゆる人間関係の中で最も恒常的なもの、永続的なものであり、恋人・夫婦・親子・兄弟姉妹、あるいは職場その他での交際といったいろいろの関係の中でも維持されるべき基本的なものだからです。
わたしたちの人生は、結局のところさまざまな人間関係にほかなりませんが、いろいろな関係の中で、友情は特に人間的な関係です。
家族のつながりや恋人総合の関係にもそれぞれ深いものがあるにしても、そういったものの中には、ある意味で動物的な要素、自然的・本能的な要素があります。
これに反して友情は、人間特有の、人間でなければ持つことのできないものです。
人間は社会的動物であるといわれますが、単に多数の者が集まって共同生活をすることが社会的であるとするならば、それは必ずしも人間特有のものではないでしょう。
家族も社会も、それが人間を人間たらしめるものであるためには、友情を根底にしているものでなげればならないと思われます。
恋人は恋人であって同時に友人である、夫婦は夫婦であって同時に友人である、親子兄弟は親子兄弟であって同時に友人である、こういった恋人・夫婦・親子兄弟こそ、理想的な恋人・夫婦・親子兄弟ではないでしょうか。
友情がこのように人生において最も大切なものであり、すべての人間関係を成り立たせる基礎的なものであるのは、それが最も人間的な関係、本能的な欲望や打算的な利害に動かされることの最も少ない関係だからであり、心と心との親密な触れ合い、言葉では言い表せない深い共感、他のものを目的にしない純粋な信頼の気持ちだからです。
友人といっても、むろんいろいろの種類があり、親しさの程度もさまざまです。
しかし、ここでわたしが述べているのは、本当の友達、真の友情で結ばれた親しい友達のことです。
本当に理解し合うことのできる、信頼し含うことのできる友達、そういう友達をわたしたちは常に求めています。
そういう友達はそうたくさん必要ではありませんし、また実際問題としてそうたくさんはできないでしょう。
しかし、少数でもよい、一人でも二人でもよい、もしそういう友達を見いだすことができれば、それはわたしたちの人生の最大の宝、生きていく上での最も大きなカと喜びを与えてくれるにちがいありません。
本当の友達は、多くの場合、若いときからの年来の友人、学校時代あるいは二十歳前後のいわゆる青春時代からの友人です。
大人になってから、殊に三十歳を過ぎてから、心からの親友を見いだすことは、ないことはないでしょうが、なかなか困難なことです。
わたしの場合でも、親友の大部分は学生時代からの友人です。
だから学生時代に、あるいは二十歳前後の若いときによい友人を発見することは極めて大事なことですが、なぜ若いときの友人が一生の友人になることが多く、それに比べて大人になってからでは親友ができにくいか、このことを考えてみると、友情とは何かがかなりはっきりしてくると思います。
その人の存在だけでこちらが慰められ励まされるような友達、生涯続いて変わらない美しい友情、こういったものが若いときに作られることが多いということは、そういう若い時代には各自が素直に人生に直面しており、したがって素直な自己をさらけ出して生きているので、心と心が素直に触れ合うことが多いからでしょう。
言い換えれば、青春の時代にあっては、打算的・功利的な考えで人と交際することが、大人の社会に比べて少ないからでしょう。
一口に友人といっても、その種類や程度はさまざまだと前に申しましたが、世間には単に利害関係だけで結ばれている友人関係や、利害関係だけでなくてもごく表面的な関係だけで交際している人を友人と呼んでいる場合が、たいへん多いのです。
利害関係だけで結ばれているならば、その利害関係の変化によって、今まで親友のように交際していた人どうしがたちまちかたきのようになってしまうこともあるでしょう。
それは決して友達とはいえません。
また単に表面的なこと、例えばクラスが同じだとか、趣味が似ているとか、職場が一つだとかということで友人になっている場合があっても、それはそれでよいでしょうが、これだけでは生涯の友人にはなれません。
なぜなら、本当の友情とは心と心の触れ合いですから、表面的なことだけでは成立せず、互いの真実をぶつげ合う素直な気持ちが必要だからです。
大人になってからは親友ができにくく、若いときにこそ真の友情を見つけることができるのは、自己の真実を裸のままで示す素直な気持ちを若い人々は持っているのに、大人になるといろいろなカラが出来てしまって、自己を開き示すことが少なくなるからでしょう。
ということは、友情の成立に必要なのは、必ずしも若さということではなくて、人生に対する真実な気持ちを開き示し、また、他人のそのような気持ちを受け入れる心の素直さです。
言い換えれば、人生に対する真実な気持ち、自分自身に対する城実さ、これなくしては友情は得られず、逆にまた、これさえあれば若くても若くなくても真の友情を得ることができるにちがいありません。
友情における相互の信頼というものは、人生に立ち向かうこの真実さを相互に認め合うことですから、性格や意見がどのように違っても、外的な環境がどのように違っても、そういった相違を超えて成立するものですし、これは相互の生き方の最も深いところでの信頼ですから、生涯変わることなく続くのです。
こういう信頼は、当然、相手に対する尊敬を伴います。
人生に対する真実真剣な態度ほど尊敬すべきものはないのですから、信頼が尊敬を生むのは当然です。
信頼を持って人に接すれば、わたしたちはそこに自分の持っていないさまざまな長所を発見し、それを尊敬し、そこから学び、それによって励まされます。
逆にまた、そのような信頼を友人から寄せられるならば、それに勝る大きな慰めと励ましはないでしょう。
なぜなら、人生への真実という点での信頼は、心の最も深いところでの信頼であり、他の何ものによっても動かされることのないものだからです。
人がなんといおうとも、世間がどんなに目分を誤解しようとも、友人だけは分かってくれていると思うことができるのは、なんというありがたいことでしょうか。
(終)
--------------------------------------------------------------------------------
论友情人的一生中,再没有比友情更重要、更宝贵和更难求的东西了。
这并不是我随便说出的冠冕堂皇的话,如果随意说,那还有许多重要的东西。
比如还可以说,人生中最重要的东西莫过于恋爱、最重要的莫过于夫妻间的爱,父子情、工作、学习、健康等等,许多都是人生中非常重要的东西。
如果说每一个都同样重要,未必不对,但这些都不是我们经认真思考后所下的判断。
当然,我们若再去讨论比较构成人生的各种重要成份,并从其中选出一个最重要的来,也并无太大意义。
因为哪一个都重要。
虽说如此,我在认真思考人生的各种要素后还是想说:再没有比友情更重要的了。
理由有二,其一,这是我人生中非常切实的体会,因为我时常觉得朋友的存在对我十分地珍贵。
其二,就是从道理上来说,友情是所有人际关系中最自然、是持久的感情。
是包括恋人、夫妇、父子、兄弟姐妹、工作单位以及我们所交往的范围在内的所有关系中应该维护的基本的感情。
归根到底,我们的人生就是各种人际关系,而友情则是其中最有人情味的关系。
在维系家庭和恋人间的相互关系中,即使其中含有更深刻的东西,实际上在某种意义上也含有动物性的要素和自然的、本能性的要素。
与其相反,友情则是人类特有的、非人类所不具备的感情。
人们都说,人类是社会性的动物,如果单单把多个人集中起来共同生活称为社会性的话,那未必人类所特有。
无论家庭还是社会,为了使我们人类有别于其它动物,那就必须以友情为基础。
恋人同时也是友人,夫妇也是友人,父子兄弟姐妹当然也是友人。
但这些恋人、夫妇、父子兄弟姐妹并未必就是我们理想中的、最重要的人。
之所以说友情对人生这样地重要,是能够组成所有人际关系的基本感情。
是因为它是最人类化的、是受动物的本能、欲望和私利等利害关系驱动最少的关系。
它是心与心的亲密接触,是不能用语言表达的共同感觉,是不以其它为目的纯粹的信赖感。
当然,即使称为友人,也有各种类型,亲密程度当然也有差别。
但是,我在这里所谈到的是真正的朋友,是以真挚的友情联结的亲密朋友。
真正能够互相理解、互相信赖的朋友,我们一直在寻找的那类朋友。
这类朋友并不需要很多,实际上也不可能有太多。
但是,少也没关系,一个、两个也可以。
如果能找到这样的朋友,那将是我们人生中的最大财富,他一定会给我们生活带来最大力量与喜悦。
真正的朋友,多是青年时代就开始交往的、多年的友人,也就是学生时代或20岁上下的所谓青年时代的友人。
成人以后,特别是过了30岁以后,找到内心相通的知心朋友,即使可能也是相当地困难。
就像我吧,大部分知心朋友都是学生时代的友人。
所以在学生时代或者说20岁上下的青年时代能找到知心朋友是极其重要的。
那么,为什么年青时的朋友大多容易成为终生的朋友。
而长大以后的朋友就难了呢?如果我们能仔细琢磨一下这个问题,我们就可以弄清楚友情到底是什么。
只要他存在,我就觉得一种宽慰与鼓励。
这类朋友,拥有终生不渝的最美好的友情,这种感情大多是在青年时代才能形成。
原因大概就是在青年时代,各自都能坦诚地直面人生,相应地,每个人都以真实的自我生活着,所以心与心的真诚接触就会多一些。
换句话说,与成人社会相比,在青年时代所遇到的、以自私、功利的思想与人交往的人要少许多。
如果用一句话概括朋友,就像前面说的,其种类与程度有许多,但是在这个世界上,我们多把以利害关系联结起来的友人关系和即使不以利害关系联结,而只以极其表面化的关系交往的人称为朋友。
如果只以利害关系联结的话,那么过去曾象朋友一样交往的人,因利害关系的变化有时立即会变成你的对头。
实际上这绝不能称为朋友,另外,只是表面上的,例如因班级相同,趣味相似,同一单位等而成为朋友的,这当然很好,但只有这些还不能成为终生的朋友。
为什么呢?由于真正的友情是心与心的接触,所以只以表面现象为基础是不能成为朋友的,而需要互相拿出真实与坦率的自我来碰撞。
成人以后,难以找到知已,而年青时容易找到纯真的友情,这是因为,年青人更愿意坦诚地把真实的自我裸露在他人的面前,而成人以后,就会有各种虚伪,很少能自己打开心扉。
这样说来,友情所需要的不一定是年青,而是自己面对人生的真情实感,还有就是接受对方这类情感的坦诚度。
换句话说,如果没有面对人生的真情实感,面对自己的诚实程度,你将不能获得友情,反之,如果有了这些,则无论你年青与否,一定能够获得真正的友情。
友情所维系的相互信赖关系是因为相互承认对方面对人生的真情实感。
所以无论双方性格与意见有多大的不同、周边环境有多大的差别,友情都会超越这些差别而形成。
并且,由于这是出自双方心灵深处的信赖,所以可以持续终生。
当然,这种信赖还包含了对对方的尊敬,因为再没有比以真诚的态度面对人生更值得尊敬的了。
所以,由信赖升华为尊敬是当然的。
如果以信赖的态度与人交往,那我们就会发现对方拥有许多我们所不具备的优点,从而去尊敬它,学习它,并受其激励。
相反如果这种信赖被友人抢走,那么你就不会获得胜过他的安慰与鼓励了。
这是因为基于坦城面对人生所形成的信赖感,是来自心灵最深处的信赖感,这种信赖感不受其它任何东西所驱使。
无论他人怎么说,无论世界如何误解自己,只要能感到友人的理解,那就是最大的幸福!(完)
歳をとるということは?
歳をとるということは、生きてるということだ。(ある友人)
歯が痛いということも、生きてるということだ。(persempre)
病気ということも、生きてるということだ。 (ある友人より)
所谓年龄?所谓年龄就是活着的意思。(一个朋友)
牙痛也是活着的意思。(persempre)
生病也是活着的意思。
歯が痛いということも、生きてるということだ。(persempre)
病気ということも、生きてるということだ。 (ある友人より)
所谓年龄?所谓年龄就是活着的意思。(一个朋友)
牙痛也是活着的意思。(persempre)
生病也是活着的意思。
死
生きとし、生けるものにとって、死が不可避だとすれば、それに24時間こだわりつくしても、どうなるものでもない。 (ある友人より)
生与死,对于活着的人来说,如果死是不可避免的话,那么即使再多24小时又有什么用呢! 《日本语世界》译
生与死,对于活着的人来说,如果死是不可避免的话,那么即使再多24小时又有什么用呢! 《日本语世界》译
日本人の起床と睡眠
起床
日本人の一日は6時ごろに始まります。たいていのサラリーマンは、勤め先から電車やバスで1時間以上もかかるところに住んでいるから毎日それぐらいの時間に起きるのが普通です。小、中学生は7時ごろ起きます。家庭では、まず奥さんが起きて、夫や子供たちのために朝食の準備をします。
日本では、ベッドで寝る人が増えましたが、日本人全体を見ると、毎日畳の上で寝る人のほうがずっと多く、調査では日本人の4分の3は畳の上に布団で寝ています。その理由として「部屋が和室だから」が一番多いですが、「部屋が有効につかえるから」「畳の布団のほうが気持ちがいいから」という積極的な理由で布団に寝る人もいます。
布団の敷き方は、まず畳の上に敷き布団とシーツを敷きます。敷き布団の下にマットレスを敷く場合もあります。人は敷き布団のシーツの上に寝ます。それから掛け布団をその上にかけます。寒いときには掛け布団の下に毛布を入れます。朝にはその布団を畳んで押入れにしまいますが、忙しい場合や面倒な場合にはそのままにしておくこともあります。それを「万年床」といいます。
日本は湿り気が多いから、布団は日に干して湿気を取ります。およそ3割りの人が1週間に一回布団を干しています。干す場所や時間がない人のためには電気布団乾燥機があります。
第二次世界大戦後、日本人の生活が洋風化して、ベッドで寝る人が増えてきました。調査によると、男性の24.5%、女性の23.1%がベッドで寝ています。特に若い世代はおよそ半数がベッドを使っています。
ベッドで寝る理由としては男性も女性も半数以上が「布団を押し入れに入れたり出したりしなくてもいいから」を挙げます。次いで「寝室が洋間だから」になっています。
睡眠
子供たちは勉強が終わってからお風呂に入り、床につきます。親は大体22時過ぎに入浴し、テレビのスポーツ番組などを見てから就寝というのが普通になっています。
子供が小さいときには両親と一緒の部屋で寝るのは普通です。地方により、家族構成により、家の形態、広さや育児の考え方などによって違いますが、小学生になると、一人で寝ることが多くなります。赤ちゃんのときからほかの部屋に一人で寝かせる家族もあります。
両親と一緒に寝る場合は、普通両側に両親の多きい布団を、真ん中に子供の小さい布団を敷きます。これを上から見ると「川」の字のようになります。このような寝方を「川の字に寝る」といいます。
保育園では昼食のあと、普通昼寝の時間があります。小学校にはそのような時間はありません。日本では一般に大人は昼寝の習慣がありません。調査によると、中学生は平日は11時15分ごろ寝ます。しかし、平日でも夜中の1時に10%近くの中学生が起きていて、その数は年々多くなっています。サラリーマンは平日は平均6時45分ごろ起きて、夜11時30分ごろ寝ます。睡眠時間は日本人の平均は7時間28分で、中学生は7時間38分です。サラリーマンは平均は7時間19分です。日曜日だと、8時間30分で、平日よりも1時間以上長く寝ています。一番早く寝て早く起きる人は農業?漁業に従事している人で、一番遅くまで起きていて、遅くまで寝ている人は大学生と高校生です。
寝るとき、普通男性はパジャマ、女性はパジャマかネグリジェを着ています。若い人はTシャツで寝る人もいます。以前は浴衣の寝巻きが多かったのですが、最近では非常に少なくなりました。
参考译文
起床
早晨6点钟左右日本人就开始了一天的生活。大部分公司职员的住所离公司都很远,乘电车或公共汽车都得超过1个小时以上的时间,所以一般都在这个时间起床。中小学生7点左右起床。在家里太太先起床,为丈夫和孩子们准备早餐。
在日本睡床的人虽然有所增多,但从全体日本人来看,每天在榻榻米上就寝的还是多得多。据调查,现在有四分之三的日本人还是习惯把被褥铺在榻榻米上睡觉。睡榻榻米的理由最多是“因为房间是和式的。”另一部分人则列举出更积极的理由,说:“睡榻榻米可以有效的使用房间”,“在榻榻米上铺被睡觉舒服。”
说到铺被的方法,首先在榻榻米上铺上褥子和褥单,有的在褥子下面还铺上褥垫子。人躺在褥单上在盖上被子。天气冷的时候在被子里衬上毛毯。早晨起床后把被褥叠好装进橱柜里,把房间腾空另作他用。但是也有人因忙或懒得叠就那么堆放在榻榻米上。日本人将其叫做“万年床”。
日本潮湿,所以被子需晾晒除潮。大约3成的人每周晾晒一次。没有晾晒场所和时间的人使用干燥机除潮。
第二次世界大战后,日本人的生活趋向西化,睡床的人多起来,据调查,有24.5%的男人和23.1%的女人睡床。特别是当今的年轻一代,有近半数的人开始睡床了。
睡床的人多起来,有一半以上的人的主要理由是:“起床时不用把被褥叠起来装进橱柜里,睡时再拿出来”,其次是“因为寝室是西式房间了”。
睡眠
孩子们学习完后,马上洗澡睡觉。父母则一般都在22点以后洗澡,再看看有关体育等方面的电视节目,然后睡觉。
孩子小时,一般都和父母睡在一个房间里,但会由于地方的习惯,家庭成员的构成,房子的结构大小,教育儿童的观念等而采取不同的睡觉方式。当孩子成长到小学生时,一般单独一个人睡。也有的家庭,从婴儿开始就让孩子一个人睡。
和父母一起睡时,一般父母的大被褥铺在两边,中间铺孩子的小被褥。从上面看的话,会呈现出一个“川”字形。于是就把这种睡觉的方法叫做“川字睡”。
在日本,幼儿园的孩子们午饭后一般要午睡,小学校则没有午睡时间,大人没有午睡的习惯。 据调查,中学生平时晚11点15分左右睡觉,但也有近10%的中学生一直熬到半夜1点才睡,而且这个数字还在年年在增加。公司职员平时早6点45分左右起床,晚11点30分左右就寝。日本人的平均睡眠时间为7小时28分。中学生为7小时38分。公司职员为7小时19分。星期日为8小时30分,比平时多睡一个多小时。最早睡早起的是从事农业,渔业工作的人员,最晚睡晚起的人为大学生和高中生。
睡觉时,男人一般穿分上下身的西式睡衣,女人穿分上下身的西式睡衣或西式长睡衣,年轻人也有穿汗衫睡的。以前穿浴衣式的睡衣睡觉的人很多,但最近非常少了。
日本人の一日は6時ごろに始まります。たいていのサラリーマンは、勤め先から電車やバスで1時間以上もかかるところに住んでいるから毎日それぐらいの時間に起きるのが普通です。小、中学生は7時ごろ起きます。家庭では、まず奥さんが起きて、夫や子供たちのために朝食の準備をします。
日本では、ベッドで寝る人が増えましたが、日本人全体を見ると、毎日畳の上で寝る人のほうがずっと多く、調査では日本人の4分の3は畳の上に布団で寝ています。その理由として「部屋が和室だから」が一番多いですが、「部屋が有効につかえるから」「畳の布団のほうが気持ちがいいから」という積極的な理由で布団に寝る人もいます。
布団の敷き方は、まず畳の上に敷き布団とシーツを敷きます。敷き布団の下にマットレスを敷く場合もあります。人は敷き布団のシーツの上に寝ます。それから掛け布団をその上にかけます。寒いときには掛け布団の下に毛布を入れます。朝にはその布団を畳んで押入れにしまいますが、忙しい場合や面倒な場合にはそのままにしておくこともあります。それを「万年床」といいます。
日本は湿り気が多いから、布団は日に干して湿気を取ります。およそ3割りの人が1週間に一回布団を干しています。干す場所や時間がない人のためには電気布団乾燥機があります。
第二次世界大戦後、日本人の生活が洋風化して、ベッドで寝る人が増えてきました。調査によると、男性の24.5%、女性の23.1%がベッドで寝ています。特に若い世代はおよそ半数がベッドを使っています。
ベッドで寝る理由としては男性も女性も半数以上が「布団を押し入れに入れたり出したりしなくてもいいから」を挙げます。次いで「寝室が洋間だから」になっています。
睡眠
子供たちは勉強が終わってからお風呂に入り、床につきます。親は大体22時過ぎに入浴し、テレビのスポーツ番組などを見てから就寝というのが普通になっています。
子供が小さいときには両親と一緒の部屋で寝るのは普通です。地方により、家族構成により、家の形態、広さや育児の考え方などによって違いますが、小学生になると、一人で寝ることが多くなります。赤ちゃんのときからほかの部屋に一人で寝かせる家族もあります。
両親と一緒に寝る場合は、普通両側に両親の多きい布団を、真ん中に子供の小さい布団を敷きます。これを上から見ると「川」の字のようになります。このような寝方を「川の字に寝る」といいます。
保育園では昼食のあと、普通昼寝の時間があります。小学校にはそのような時間はありません。日本では一般に大人は昼寝の習慣がありません。調査によると、中学生は平日は11時15分ごろ寝ます。しかし、平日でも夜中の1時に10%近くの中学生が起きていて、その数は年々多くなっています。サラリーマンは平日は平均6時45分ごろ起きて、夜11時30分ごろ寝ます。睡眠時間は日本人の平均は7時間28分で、中学生は7時間38分です。サラリーマンは平均は7時間19分です。日曜日だと、8時間30分で、平日よりも1時間以上長く寝ています。一番早く寝て早く起きる人は農業?漁業に従事している人で、一番遅くまで起きていて、遅くまで寝ている人は大学生と高校生です。
寝るとき、普通男性はパジャマ、女性はパジャマかネグリジェを着ています。若い人はTシャツで寝る人もいます。以前は浴衣の寝巻きが多かったのですが、最近では非常に少なくなりました。
参考译文
起床
早晨6点钟左右日本人就开始了一天的生活。大部分公司职员的住所离公司都很远,乘电车或公共汽车都得超过1个小时以上的时间,所以一般都在这个时间起床。中小学生7点左右起床。在家里太太先起床,为丈夫和孩子们准备早餐。
在日本睡床的人虽然有所增多,但从全体日本人来看,每天在榻榻米上就寝的还是多得多。据调查,现在有四分之三的日本人还是习惯把被褥铺在榻榻米上睡觉。睡榻榻米的理由最多是“因为房间是和式的。”另一部分人则列举出更积极的理由,说:“睡榻榻米可以有效的使用房间”,“在榻榻米上铺被睡觉舒服。”
说到铺被的方法,首先在榻榻米上铺上褥子和褥单,有的在褥子下面还铺上褥垫子。人躺在褥单上在盖上被子。天气冷的时候在被子里衬上毛毯。早晨起床后把被褥叠好装进橱柜里,把房间腾空另作他用。但是也有人因忙或懒得叠就那么堆放在榻榻米上。日本人将其叫做“万年床”。
日本潮湿,所以被子需晾晒除潮。大约3成的人每周晾晒一次。没有晾晒场所和时间的人使用干燥机除潮。
第二次世界大战后,日本人的生活趋向西化,睡床的人多起来,据调查,有24.5%的男人和23.1%的女人睡床。特别是当今的年轻一代,有近半数的人开始睡床了。
睡床的人多起来,有一半以上的人的主要理由是:“起床时不用把被褥叠起来装进橱柜里,睡时再拿出来”,其次是“因为寝室是西式房间了”。
睡眠
孩子们学习完后,马上洗澡睡觉。父母则一般都在22点以后洗澡,再看看有关体育等方面的电视节目,然后睡觉。
孩子小时,一般都和父母睡在一个房间里,但会由于地方的习惯,家庭成员的构成,房子的结构大小,教育儿童的观念等而采取不同的睡觉方式。当孩子成长到小学生时,一般单独一个人睡。也有的家庭,从婴儿开始就让孩子一个人睡。
和父母一起睡时,一般父母的大被褥铺在两边,中间铺孩子的小被褥。从上面看的话,会呈现出一个“川”字形。于是就把这种睡觉的方法叫做“川字睡”。
在日本,幼儿园的孩子们午饭后一般要午睡,小学校则没有午睡时间,大人没有午睡的习惯。 据调查,中学生平时晚11点15分左右睡觉,但也有近10%的中学生一直熬到半夜1点才睡,而且这个数字还在年年在增加。公司职员平时早6点45分左右起床,晚11点30分左右就寝。日本人的平均睡眠时间为7小时28分。中学生为7小时38分。公司职员为7小时19分。星期日为8小时30分,比平时多睡一个多小时。最早睡早起的是从事农业,渔业工作的人员,最晚睡晚起的人为大学生和高中生。
睡觉时,男人一般穿分上下身的西式睡衣,女人穿分上下身的西式睡衣或西式长睡衣,年轻人也有穿汗衫睡的。以前穿浴衣式的睡衣睡觉的人很多,但最近非常少了。
罪
あなたは今、罪を感じますか?
皆さんにとって「罪」とは、どんなものでしょうか。私自身で語るならば、罪は「後悔する気持ち」その中に含まれる。そう思います。では、少し昔話を交え、お話をします。
物凄くリッチな家庭に育っている「お坊ちゃま」タイプの友達がいました。物凄く大きい・・300坪くらいはあったでしょうか。そうしたカントリー色の強い素敵な住まいに住んでました。毎月・・いや、正確には「毎日、必要な時、必要なだけ」お小遣いを貰い、こんなに持ってても使い道ないじゃん・・そう言いながら、クラスの皆にボヤいている。そういった環境の子でした。正直、羨ましかった。お小遣・・そんなもの。貰ったことが無い。それは何かのお駄賃。お酒を買いにいくとき持っていく、酒ビンの返却代。ジュース瓶の返却代。途中で拾える空き瓶すべてが、当時の私の宝物。私の生きる保障と収入源。そうした「捨てられたもの」、どうでも良い程度の小さなお金のリサイクル金。そんな、ほんの数十円。それを握り締め、コツコツ・・貯めていた。そんな自分からすれば、毎日好きなとき、好きなだけ・・何千円・・何万円・・いや、欲しいものがあれば、何でも買ってやるぞ!そんな家庭。羨望の目で、表情で。きっと、その子を見ていた気がする。それが、中学に入ってスグの頃。まだ、多くの同級生を「良く知らない・・まだ見慣れない・・」そんな頃。そうした状況のクラスがあり、そうしたクラスの時が過ぎていった。
学年が変わる頃。その子は人気者。いや、正確には「人気者と称え、歌われる、ピエロのような、周りの人にとっての金づる」そんなモノになっていた。恐らく、本人が一番理解していただろう。みんなお金目的!!そう思ったと思う。いつでも、どこでも、金・・金・・かね。みんな金なのかよ!!そう叫んでいる気がした。私自身、クラスの仲間に誘われ、何度もその子の家に遊びに言った。多くは、そうした人達と十数人で一斉に押しかける。食べる、飲む、遊ぶ。そして「何かおもしれぇ~ことねぇ~のかよ!?つまんねぇ~なぁ~・・」そんなコトを口にする。そんな大馬鹿者たちがそこにいた。たとえ本人が「今日はちょっと・・」「毎日こられるのも・・」そう言って嫌がっても「・・まぁまぁ。そう怒んなよ♪別にいいじゃん。どうせお前のとこ、誰もいないし。いてもお手伝いさんだけだろ?俺達は、お・きゃ・く・さ・ま♪」そんなコトを口々に、必ず誰かが毎日のように押しかけた。そんな状況が知らない所でも、もっと多くあった・・そんな気がする。
結局、そのままの環境で、その子を含む、私達は一緒に成長した。学校はその後、バラバラ。今ではどうしているか全く知らない。判らない。でも間違いなく、そいつには「世の中なんて、どうせお金だしな・・」そう思わせた。思わせてしまった事実があると思う。何も知らずとも、何も聞かされずとも。どうしてもそう感じてしまう。俺達がそいつを変えてしまった・・俺のせい・・俺もその仲間の中にいた・・そう思うから。間違いなく、それを作ったのは私達。「友達だという、自分達にだけ、都合の良い武器を理由に、相手の気持ちを、全く無視した愚か者・・」それが作った。そうなってしまった・・そんな現実。それが私には。私を含んだ、その時の仲間達にはある。・・いや、何を置いても先に、まず、持たなければいけないコトだ!と。そう思う。
でも、心は信じたがる。卑しくも、情けなくも、どうしても都合の良い世界を作りたがる。「まっ、大丈夫さ♪」その程度に。「絶対にあいつは、そんな人になってない!」そう願ってしまう。叫んでしまう。それは、ただの命乞い。ただの懺悔。それだけの為に。自分が許され・・許して欲しい。ただ、その一心の為だけ。まだ、ここにきてもそれを願い続ける。そんな愚かな自分が居る。正直、最悪。俺って最低・・。その言葉の通りの心象が、常にグルグルまわっていく。既に成長しすぎてしまった私たちには、もう、そのときを巻き戻すことはできない。そして、仮に願いが叶ったとしても、そいつにさせた想いの罪。それは、決して消せるものではないから。だからこそ、今でもそう思う・・思い続けるのだと思う。俺のせいだ・・俺達のせいだ・・と。
これの多くは「私たちのような大馬鹿もの」がいたから。それがこうした状況や、結果。それを生んだ。その後のこと、私は何も知らない、何も聞こえてこない。だから、今がどうなっているのかは、何もしらない。勝手な想像だけかもしれない。でも、少なくとも、そうした可能性を作った。作り出した。それは事実。私たちが・・そんな馬鹿な流れ・・クラスの雰囲気・・そんなモノに巻き込まなければ。絶対に起きることの無かったこと。愚かしい、情けない・・そんなこと。そうしたことが、昔あった。私は酷い人です。酷い人なんです。そう自分に胸を張って私は言える。とても褒められたものじゃない、そんな胸。だけど、それだけのコトを、私・・私を含む、その時の仲間達。そいつら全てには感じていて欲しい。感じる義務・・責任があるはずだから。罪という名の重荷は、自分達、俺達が作った。自分自身のせいなのだから。
今、ハッキリ覚えているだけで、これくらいのお話、いくつか出てきます。もしかしたら、気づいていないだけで、書ききれない・・言い切れない・・それ程のこともやっているかもしれない。だから、怖い。自分がここにいて。自分がいま生きていて。それで良いのか?・・そう常に感じる。今だから、うつ状態という、そんな時期だから。もしかしたら、それもあるかもしれない。でも、それは昔から思っていた。ただ、今は心が素直に叫んでいる・・それが、よく聞こえる。聞こえてくる。そんな状況になっているだけ。何かの咎がはずれ、関が崩壊した今だから、より多くの過去が、罪が、後悔として・・今の自分の存在を見つめてくる。・・じぃぃぃぃぃ・・そんな感触。そんな視線。目を閉じても、何かを見ても。常に感じるその視線。どうにもできない、何にもできない。だから怖い。だから恐ろしい。そんな感触。それが続いていく。延々と・・延々と・・。今までの自分が気づけなかったのは、耳を傾けていなかっただけ。・・心は、自分は、いつも声を出していた。叫んでいたはず。
・・ねぇ、それでいいの?・・ねぇ、本当にこれでいいの?
そう、いつも叫ばれていたから。聞いている。聞こえているのも気づいていたから。ただ、それに耳を貸さなかった自分。聞こうとしなかっただけ。これは間違っている・・そう気づいていたはず。自分の弱さ・・周囲との繋がりの継続。ただ、それだけの為に。そんなコトのために、私は自分自身の声を、叫びを。・・無視した。無視してしまっていた。だからこそ、正直、今でも自分にうんざりする。あぁ、俺って最低・・俺は大馬鹿。そう思う。思ってしまう。それしか思えない。そんなモノを常に・・いつまでも胸に抱え・・そして、あるとき突然思い出す。・・あぁ、やっぱり俺は愚か者・・と。何かの馬鹿さ加減に呆れ、後悔、失望し続ける。そんな毎日を送り、紡いできた。生きること自体が恥ずかしい。そう思うかのように。
皆さんにとって「罪」とは、どんなものでしょうか。私自身で語るならば、罪は「後悔する気持ち」その中に含まれる。そう思います。では、少し昔話を交え、お話をします。
物凄くリッチな家庭に育っている「お坊ちゃま」タイプの友達がいました。物凄く大きい・・300坪くらいはあったでしょうか。そうしたカントリー色の強い素敵な住まいに住んでました。毎月・・いや、正確には「毎日、必要な時、必要なだけ」お小遣いを貰い、こんなに持ってても使い道ないじゃん・・そう言いながら、クラスの皆にボヤいている。そういった環境の子でした。正直、羨ましかった。お小遣・・そんなもの。貰ったことが無い。それは何かのお駄賃。お酒を買いにいくとき持っていく、酒ビンの返却代。ジュース瓶の返却代。途中で拾える空き瓶すべてが、当時の私の宝物。私の生きる保障と収入源。そうした「捨てられたもの」、どうでも良い程度の小さなお金のリサイクル金。そんな、ほんの数十円。それを握り締め、コツコツ・・貯めていた。そんな自分からすれば、毎日好きなとき、好きなだけ・・何千円・・何万円・・いや、欲しいものがあれば、何でも買ってやるぞ!そんな家庭。羨望の目で、表情で。きっと、その子を見ていた気がする。それが、中学に入ってスグの頃。まだ、多くの同級生を「良く知らない・・まだ見慣れない・・」そんな頃。そうした状況のクラスがあり、そうしたクラスの時が過ぎていった。
学年が変わる頃。その子は人気者。いや、正確には「人気者と称え、歌われる、ピエロのような、周りの人にとっての金づる」そんなモノになっていた。恐らく、本人が一番理解していただろう。みんなお金目的!!そう思ったと思う。いつでも、どこでも、金・・金・・かね。みんな金なのかよ!!そう叫んでいる気がした。私自身、クラスの仲間に誘われ、何度もその子の家に遊びに言った。多くは、そうした人達と十数人で一斉に押しかける。食べる、飲む、遊ぶ。そして「何かおもしれぇ~ことねぇ~のかよ!?つまんねぇ~なぁ~・・」そんなコトを口にする。そんな大馬鹿者たちがそこにいた。たとえ本人が「今日はちょっと・・」「毎日こられるのも・・」そう言って嫌がっても「・・まぁまぁ。そう怒んなよ♪別にいいじゃん。どうせお前のとこ、誰もいないし。いてもお手伝いさんだけだろ?俺達は、お・きゃ・く・さ・ま♪」そんなコトを口々に、必ず誰かが毎日のように押しかけた。そんな状況が知らない所でも、もっと多くあった・・そんな気がする。
結局、そのままの環境で、その子を含む、私達は一緒に成長した。学校はその後、バラバラ。今ではどうしているか全く知らない。判らない。でも間違いなく、そいつには「世の中なんて、どうせお金だしな・・」そう思わせた。思わせてしまった事実があると思う。何も知らずとも、何も聞かされずとも。どうしてもそう感じてしまう。俺達がそいつを変えてしまった・・俺のせい・・俺もその仲間の中にいた・・そう思うから。間違いなく、それを作ったのは私達。「友達だという、自分達にだけ、都合の良い武器を理由に、相手の気持ちを、全く無視した愚か者・・」それが作った。そうなってしまった・・そんな現実。それが私には。私を含んだ、その時の仲間達にはある。・・いや、何を置いても先に、まず、持たなければいけないコトだ!と。そう思う。
でも、心は信じたがる。卑しくも、情けなくも、どうしても都合の良い世界を作りたがる。「まっ、大丈夫さ♪」その程度に。「絶対にあいつは、そんな人になってない!」そう願ってしまう。叫んでしまう。それは、ただの命乞い。ただの懺悔。それだけの為に。自分が許され・・許して欲しい。ただ、その一心の為だけ。まだ、ここにきてもそれを願い続ける。そんな愚かな自分が居る。正直、最悪。俺って最低・・。その言葉の通りの心象が、常にグルグルまわっていく。既に成長しすぎてしまった私たちには、もう、そのときを巻き戻すことはできない。そして、仮に願いが叶ったとしても、そいつにさせた想いの罪。それは、決して消せるものではないから。だからこそ、今でもそう思う・・思い続けるのだと思う。俺のせいだ・・俺達のせいだ・・と。
これの多くは「私たちのような大馬鹿もの」がいたから。それがこうした状況や、結果。それを生んだ。その後のこと、私は何も知らない、何も聞こえてこない。だから、今がどうなっているのかは、何もしらない。勝手な想像だけかもしれない。でも、少なくとも、そうした可能性を作った。作り出した。それは事実。私たちが・・そんな馬鹿な流れ・・クラスの雰囲気・・そんなモノに巻き込まなければ。絶対に起きることの無かったこと。愚かしい、情けない・・そんなこと。そうしたことが、昔あった。私は酷い人です。酷い人なんです。そう自分に胸を張って私は言える。とても褒められたものじゃない、そんな胸。だけど、それだけのコトを、私・・私を含む、その時の仲間達。そいつら全てには感じていて欲しい。感じる義務・・責任があるはずだから。罪という名の重荷は、自分達、俺達が作った。自分自身のせいなのだから。
今、ハッキリ覚えているだけで、これくらいのお話、いくつか出てきます。もしかしたら、気づいていないだけで、書ききれない・・言い切れない・・それ程のこともやっているかもしれない。だから、怖い。自分がここにいて。自分がいま生きていて。それで良いのか?・・そう常に感じる。今だから、うつ状態という、そんな時期だから。もしかしたら、それもあるかもしれない。でも、それは昔から思っていた。ただ、今は心が素直に叫んでいる・・それが、よく聞こえる。聞こえてくる。そんな状況になっているだけ。何かの咎がはずれ、関が崩壊した今だから、より多くの過去が、罪が、後悔として・・今の自分の存在を見つめてくる。・・じぃぃぃぃぃ・・そんな感触。そんな視線。目を閉じても、何かを見ても。常に感じるその視線。どうにもできない、何にもできない。だから怖い。だから恐ろしい。そんな感触。それが続いていく。延々と・・延々と・・。今までの自分が気づけなかったのは、耳を傾けていなかっただけ。・・心は、自分は、いつも声を出していた。叫んでいたはず。
・・ねぇ、それでいいの?・・ねぇ、本当にこれでいいの?
そう、いつも叫ばれていたから。聞いている。聞こえているのも気づいていたから。ただ、それに耳を貸さなかった自分。聞こうとしなかっただけ。これは間違っている・・そう気づいていたはず。自分の弱さ・・周囲との繋がりの継続。ただ、それだけの為に。そんなコトのために、私は自分自身の声を、叫びを。・・無視した。無視してしまっていた。だからこそ、正直、今でも自分にうんざりする。あぁ、俺って最低・・俺は大馬鹿。そう思う。思ってしまう。それしか思えない。そんなモノを常に・・いつまでも胸に抱え・・そして、あるとき突然思い出す。・・あぁ、やっぱり俺は愚か者・・と。何かの馬鹿さ加減に呆れ、後悔、失望し続ける。そんな毎日を送り、紡いできた。生きること自体が恥ずかしい。そう思うかのように。
日本語の女性語について
一.女性語の歴史的変化
(一)平安時代は女性語の発生期
女性語というと斎宮忌詞から言わなければならない。斎宮忌詞とは伊勢神宮に奉仕していた未婚の皇族女预駱敜蚣坤霑rに直接事物の名前を口にするのは神様を汚すことだと思って作り出された言葉で、これが最初の女性語の形態である。例えば、髪長(神宮)、瓦葺(寺院)、壌(墓)などが挙げられるが、これらは女性語と言うよりは一種の忌詞に過ぎなかったし、使用範囲も限られていた。
(二)中世は女性語の発展期
室町時代に宮中奉仕の女官が主に衣食住に関するものについて隠語的なことばを用いたのが女房詞で、女房詞は貴族と民衆との間において、急速に広がっていた。庶民と貴族とが交渉し、伝統ある貴族文化を摂取することで日本語の独特の女性語の世界が形式されるようになった。現代にまで流れる女性語の特有の「お」の使い方が中世の女房詞の伝統を踏まえているといえる。
(三)近世は女性語の全盛期
女房詞は江戸時代になって、庶民に受け継がれ、女中詞、遊里語となって質的変化が起こった。地方から来た庶民が上流家庭の女中になり、花柳界出身の女性が政治家の妻になることで女中詞、遊里語も上流社会に入るようになった。出版文化の繁栄、幕府の強力な文教政策などによって、女性専用の言葉が確立されるようになった。例えば「めもじ(見参)」、「おはもじ(恥ずかしい)」等、食物や器物名に限らず家庭内の日常的行動に至るまで発展して、女性語は全盛期に入った。
(四)近現代は女性語の衰退期
江戸時代の女中詞は、女性の言葉の中核となって伝えられた。すなわち、前期の女中詞はいろいろな規定を乗り越えて、生活のために、女らしさのために必要な言葉として使われたのである。しかし、後期に入るにつれて使われなくなっていった。出版された女性向きの教養、躾書に示された言葉と実生活上の女性の言語は次第に遊離されてきた。しかも、女性の地位が高まるにつれて、戦後の女性語は著しく変質して、だんだん衰退してきた。
二.現代女性語の特徴
言語の標準語化に伴って女性語は次第に減少されつつあるが、現代でも各方面において差異が見られる。では、女性語の特徴についてそれぞれ発音、語彙、敬語、文法などの面に分けて下記の通り説明して行くことにする。
(一) 発音
(1) イントネーション
大石初太郎の「ことばの昭和史」によると質問文のしり上がりのイントネーションの使用率は男性が67%で女性が84%だそうである。なお、野元菊雄の「女のことば」によると男性は17.7秒に一度、女性は10.3秒に一度強調を示すイントネーションを使うという。これらの統計から、イントネーションは男性より女性のほうが豊かであることが分かる。
(2) 音韻
発音の面では女性のほうが標準的な発音を使う傾向にある。例えば、男性はインフォーマルな場で「きたない」を「きたねー」「すごい」を「すげー」ということに対して、女性は普通このような変種を使用しない。
(3) 語速
語速も男女による差が著しく、郝素岩の「談日語的性別差異」によると、女性語のほうが男性語1.3倍の速度で話すそうである。
(二) 語彙
(1) 人称代名詞
① 一人称代名詞
自分を表す人称代名詞として「わたくし」「わたし」は男女共通に用いられている言葉で、男女の場合はそれ以外に「ぼく」「本人」「おれ」「自分」「わし」を用いる。女性の場合も「わたくし」「わたし」以外に「あたし」「うち」「あて」「わて」などを用いるが、「あたし」はインフォーマルに使われ「うち」「あて」「わて」は関西方言である。
② 二人称代名詞
日本語では二人称代名詞をできるだけあきらさまにしない傾向が有り、特に目上の人に対しては使わないようにしている。男性専用の二人称代名詞としては「おたく」「君」「おまえ」「きさま」「てまえ」などがある。女性専用の人称代名詞は特にないが「あなた」の使用範囲は男性が「きみ」「おまえ」「きさま」などを使う場合に使われ、また「あんた」は男性が「おまえ」や「きさま」を用いる場合に限って使われる。
③ 三人称代名詞
三人称代名詞として「彼」「彼女」「この方」などを使う場合は差異がないが「さま」「さん」「くん」を使う時は微妙に差が出てくる。例えば、職場で上司が部下を呼ぶ時、男性には「くん」を使い、女性には「さん」を使う。また、学校でも男子学生が女子学生を呼ぶ時は「さん」を使い、女子学生が男子学生を呼ぶ時は「さん」か「くん」を使う。すなわち、女性は男性より敬意の高い語を使う傾向がある。
(2) 終助詞
終助詞には女性、男性それぞれに特有なものがある。男性特有の終助詞には「ぞ、是、さ、な、なあ、か、だい、や、ら」などがあげられ、女性特有の終助詞には「わ、わよ、わね、の、のよ、のね、かしら、こと、もの」などがあげられる。
① 「わ」「わよ」「わね」
l あなたとても幸せだわ。
l ケーキを食べちゃだめ、ふとるわよ。
l 今日は李さんの番だったわね。
「わ」は昇調のイントネーションを伴って主張、意志、感嘆を表す場合が多い。「ね」「よ」を下接する時は確認を求めたり、注意を促す意味がダブって言葉を婉曲させる。女性の柔らかさを十分に表わした終助詞で若い女性によく使われる。
② 「の」「のよ」「のね」
l 悪いのは私なの。
l 去年よりずっとよくなったのよ。
l ずいぶん苦労してるのね。
終助詞「の」はイントネーションを昇調にするか、降調にするか、それとも強調するかによってそれぞれ判断や主張、提問、解釈や命令の意味を柔らかく表わしている。男性の場合は「のだ」「のさ」を使うが強くて硬い印象を与える、「よ」「ね」を下接する時、意味は「よ」「ね」の意味によるが男性の場合は「のだよ」「のだね」を使う時が多い。
③ 「かしら」
l これを見ていただけないかしら。
l これでいいかしら。
l いつかしら彼の所へ遊びに行きましょう。
「かしら」は女性専用の終助詞で「かしらん」からきたものである。場合によって柔らかい請求や質問、自問や不確定の意を表し、女性語の特徴をうまく表しているものである。
④ 「こと」「もの」
l 少しも男らしくないこと。
l みなさん、お変わりないこと。
l だって、仕方がないんですもの。
l 前に行ったことがありますもの。
形式名詞「こと」「もの」が終助詞として使われるのも女性の会話によく見られる。「こと」は断定や質問などの意味を婉曲に表すに対して「もの」は理由や不満を柔らかく表すことができる。
いずれにしても女性は豊かな女性専用の終助詞を使うことによって女性のたしなみと女らしさを十分に表しているのである。
(3) 感動詞
感動詞は感動や応答及び呼掛けを表す語で活用がなく単独で使われる単語である。数多くの感動詞のうち男性専用と女性専用の感動詞は多くなく、男性専用の感動詞には「よう」「よっ」「ちえっ」などがあげられ、女性専用の感動詞には「あら」「おや」「まあ」などがあげられる。
l あら、どうしたの。
l おや、そうでしたの。
l まあ、知らなかった。
どちらも感動、驚きを表す感動詞で「あら」「おや」のほうが「まあ」よりも強い感じを与える。男性専用の感動詞に比べて女性専用の感動詞は柔らかい語感を表している。
感動詞の使用頻度は井出祥子の「大学生の話しことばに見られる男女差異」によると1000発話のうち男女比が655対395だそうである。この統計から分かるように感動詞の種類が多様で独創的であるのは男性のほうである。
(4) 漢語使用
古く男性が漢語を公用語として用いたのに対して女性は和語を中心に用いたという事情があるため、男性は漢語を多く使い、女性は語感の柔らかい和語を使う傾向がある。統計によると男性の漢系語彙の使用率は20.8%で女性は14.9%だそうである。「規則」と「きまり」、「腹」と「お中」、「心情」と「気持ち」など女性は女性語の特色を表せるために硬い、感情に乏しい漢語形の言葉を避けて和語を使っている。
(5)俗語、卑語
日本語には「くそっ」「ばかっ」「しょっぱい」などの俗語や卑語があるが、これらは男性に限って使用され、女性は避ける傾向にある。
(三)敬語
日本語では女性でも男性でも丁寧な言語表現を使う傾向がある、ゆえに「です」「ます」「お」「ご」は女性に限らず男性にもよく使用されている。でもその範囲と頻度は大いに異なっていて、東京大学の男子学生と女子学生の「です」「増す」を使った頻度について調査して見たところ男女の使用比率は2対3で、接頭語「お」「ご」における男女の使用比率は1対2だそうである。では次には接頭語「お」「ご」を例にして男女差について説明していくことにする。
l お話には大賛成だ。
l ご両親はお元気ですか。
この二つの例文は男女とも使われるが、文中の接頭語「お」と「ご」は主に「あなた」の変わりに使われると思われる。
l 先生はお忙しいですか。
l 展覧会はもうご覧になりましたか。
この二つの例文も男女ともに使われて、主に相手に対する敬意を表すのである。
ところが、女性はこれ以外にも「おビール」「お高い」「お友達」「お茶碗」など美化語として過剰に使う傾向がある。これがいわば現代女性語の特徴の一つで、女性の柔らかさ、丁寧さ、上品さを表す手段でもあると思われる。
(四)文法
(1)動詞未然形+ん
l 帰らん。
l 分からん。
こういう文型は動詞の否定型の一種で男性はよく会話で使う。でも女性はあまり使わない。
(2)動詞の命令形
l 早くこい。
l 早くおきろ。
会話中命令形は男性に限って使用され女性はほとんどそれを避けている。使うとしても「早く来なさい」「早く起きてください」などやや丁寧な言い方をする。
(3)女性は会話中「て」「で」を使って文を切るが男性はあまり切らない。
l もう帰って。
l 私くやしくて、くやしくて。
後ろの部分を相手に勝手に理解させることで話が柔らかくなる。
三.女性語の将来
国語研究所の調べによると、女性の敬語の支持率にしても、女性専用の終助詞の使用率にしても若い層では下がる一方で女性語がなくなるのではないかという説もないわけではない。もちろん、女性語は男性語より丁寧で女性が損をするからなくなるべきだという主張もあるが、筆者はまずなくなることはないと考えている。歴史的に作られた心理的相違、それに生理的な相違はそう簡単に消えるものではあるまいし、日本の女性特有の女らしさと柔らかさを表せる言語として直視すべきことだと思われる。
(一)平安時代は女性語の発生期
女性語というと斎宮忌詞から言わなければならない。斎宮忌詞とは伊勢神宮に奉仕していた未婚の皇族女预駱敜蚣坤霑rに直接事物の名前を口にするのは神様を汚すことだと思って作り出された言葉で、これが最初の女性語の形態である。例えば、髪長(神宮)、瓦葺(寺院)、壌(墓)などが挙げられるが、これらは女性語と言うよりは一種の忌詞に過ぎなかったし、使用範囲も限られていた。
(二)中世は女性語の発展期
室町時代に宮中奉仕の女官が主に衣食住に関するものについて隠語的なことばを用いたのが女房詞で、女房詞は貴族と民衆との間において、急速に広がっていた。庶民と貴族とが交渉し、伝統ある貴族文化を摂取することで日本語の独特の女性語の世界が形式されるようになった。現代にまで流れる女性語の特有の「お」の使い方が中世の女房詞の伝統を踏まえているといえる。
(三)近世は女性語の全盛期
女房詞は江戸時代になって、庶民に受け継がれ、女中詞、遊里語となって質的変化が起こった。地方から来た庶民が上流家庭の女中になり、花柳界出身の女性が政治家の妻になることで女中詞、遊里語も上流社会に入るようになった。出版文化の繁栄、幕府の強力な文教政策などによって、女性専用の言葉が確立されるようになった。例えば「めもじ(見参)」、「おはもじ(恥ずかしい)」等、食物や器物名に限らず家庭内の日常的行動に至るまで発展して、女性語は全盛期に入った。
(四)近現代は女性語の衰退期
江戸時代の女中詞は、女性の言葉の中核となって伝えられた。すなわち、前期の女中詞はいろいろな規定を乗り越えて、生活のために、女らしさのために必要な言葉として使われたのである。しかし、後期に入るにつれて使われなくなっていった。出版された女性向きの教養、躾書に示された言葉と実生活上の女性の言語は次第に遊離されてきた。しかも、女性の地位が高まるにつれて、戦後の女性語は著しく変質して、だんだん衰退してきた。
二.現代女性語の特徴
言語の標準語化に伴って女性語は次第に減少されつつあるが、現代でも各方面において差異が見られる。では、女性語の特徴についてそれぞれ発音、語彙、敬語、文法などの面に分けて下記の通り説明して行くことにする。
(一) 発音
(1) イントネーション
大石初太郎の「ことばの昭和史」によると質問文のしり上がりのイントネーションの使用率は男性が67%で女性が84%だそうである。なお、野元菊雄の「女のことば」によると男性は17.7秒に一度、女性は10.3秒に一度強調を示すイントネーションを使うという。これらの統計から、イントネーションは男性より女性のほうが豊かであることが分かる。
(2) 音韻
発音の面では女性のほうが標準的な発音を使う傾向にある。例えば、男性はインフォーマルな場で「きたない」を「きたねー」「すごい」を「すげー」ということに対して、女性は普通このような変種を使用しない。
(3) 語速
語速も男女による差が著しく、郝素岩の「談日語的性別差異」によると、女性語のほうが男性語1.3倍の速度で話すそうである。
(二) 語彙
(1) 人称代名詞
① 一人称代名詞
自分を表す人称代名詞として「わたくし」「わたし」は男女共通に用いられている言葉で、男女の場合はそれ以外に「ぼく」「本人」「おれ」「自分」「わし」を用いる。女性の場合も「わたくし」「わたし」以外に「あたし」「うち」「あて」「わて」などを用いるが、「あたし」はインフォーマルに使われ「うち」「あて」「わて」は関西方言である。
② 二人称代名詞
日本語では二人称代名詞をできるだけあきらさまにしない傾向が有り、特に目上の人に対しては使わないようにしている。男性専用の二人称代名詞としては「おたく」「君」「おまえ」「きさま」「てまえ」などがある。女性専用の人称代名詞は特にないが「あなた」の使用範囲は男性が「きみ」「おまえ」「きさま」などを使う場合に使われ、また「あんた」は男性が「おまえ」や「きさま」を用いる場合に限って使われる。
③ 三人称代名詞
三人称代名詞として「彼」「彼女」「この方」などを使う場合は差異がないが「さま」「さん」「くん」を使う時は微妙に差が出てくる。例えば、職場で上司が部下を呼ぶ時、男性には「くん」を使い、女性には「さん」を使う。また、学校でも男子学生が女子学生を呼ぶ時は「さん」を使い、女子学生が男子学生を呼ぶ時は「さん」か「くん」を使う。すなわち、女性は男性より敬意の高い語を使う傾向がある。
(2) 終助詞
終助詞には女性、男性それぞれに特有なものがある。男性特有の終助詞には「ぞ、是、さ、な、なあ、か、だい、や、ら」などがあげられ、女性特有の終助詞には「わ、わよ、わね、の、のよ、のね、かしら、こと、もの」などがあげられる。
① 「わ」「わよ」「わね」
l あなたとても幸せだわ。
l ケーキを食べちゃだめ、ふとるわよ。
l 今日は李さんの番だったわね。
「わ」は昇調のイントネーションを伴って主張、意志、感嘆を表す場合が多い。「ね」「よ」を下接する時は確認を求めたり、注意を促す意味がダブって言葉を婉曲させる。女性の柔らかさを十分に表わした終助詞で若い女性によく使われる。
② 「の」「のよ」「のね」
l 悪いのは私なの。
l 去年よりずっとよくなったのよ。
l ずいぶん苦労してるのね。
終助詞「の」はイントネーションを昇調にするか、降調にするか、それとも強調するかによってそれぞれ判断や主張、提問、解釈や命令の意味を柔らかく表わしている。男性の場合は「のだ」「のさ」を使うが強くて硬い印象を与える、「よ」「ね」を下接する時、意味は「よ」「ね」の意味によるが男性の場合は「のだよ」「のだね」を使う時が多い。
③ 「かしら」
l これを見ていただけないかしら。
l これでいいかしら。
l いつかしら彼の所へ遊びに行きましょう。
「かしら」は女性専用の終助詞で「かしらん」からきたものである。場合によって柔らかい請求や質問、自問や不確定の意を表し、女性語の特徴をうまく表しているものである。
④ 「こと」「もの」
l 少しも男らしくないこと。
l みなさん、お変わりないこと。
l だって、仕方がないんですもの。
l 前に行ったことがありますもの。
形式名詞「こと」「もの」が終助詞として使われるのも女性の会話によく見られる。「こと」は断定や質問などの意味を婉曲に表すに対して「もの」は理由や不満を柔らかく表すことができる。
いずれにしても女性は豊かな女性専用の終助詞を使うことによって女性のたしなみと女らしさを十分に表しているのである。
(3) 感動詞
感動詞は感動や応答及び呼掛けを表す語で活用がなく単独で使われる単語である。数多くの感動詞のうち男性専用と女性専用の感動詞は多くなく、男性専用の感動詞には「よう」「よっ」「ちえっ」などがあげられ、女性専用の感動詞には「あら」「おや」「まあ」などがあげられる。
l あら、どうしたの。
l おや、そうでしたの。
l まあ、知らなかった。
どちらも感動、驚きを表す感動詞で「あら」「おや」のほうが「まあ」よりも強い感じを与える。男性専用の感動詞に比べて女性専用の感動詞は柔らかい語感を表している。
感動詞の使用頻度は井出祥子の「大学生の話しことばに見られる男女差異」によると1000発話のうち男女比が655対395だそうである。この統計から分かるように感動詞の種類が多様で独創的であるのは男性のほうである。
(4) 漢語使用
古く男性が漢語を公用語として用いたのに対して女性は和語を中心に用いたという事情があるため、男性は漢語を多く使い、女性は語感の柔らかい和語を使う傾向がある。統計によると男性の漢系語彙の使用率は20.8%で女性は14.9%だそうである。「規則」と「きまり」、「腹」と「お中」、「心情」と「気持ち」など女性は女性語の特色を表せるために硬い、感情に乏しい漢語形の言葉を避けて和語を使っている。
(5)俗語、卑語
日本語には「くそっ」「ばかっ」「しょっぱい」などの俗語や卑語があるが、これらは男性に限って使用され、女性は避ける傾向にある。
(三)敬語
日本語では女性でも男性でも丁寧な言語表現を使う傾向がある、ゆえに「です」「ます」「お」「ご」は女性に限らず男性にもよく使用されている。でもその範囲と頻度は大いに異なっていて、東京大学の男子学生と女子学生の「です」「増す」を使った頻度について調査して見たところ男女の使用比率は2対3で、接頭語「お」「ご」における男女の使用比率は1対2だそうである。では次には接頭語「お」「ご」を例にして男女差について説明していくことにする。
l お話には大賛成だ。
l ご両親はお元気ですか。
この二つの例文は男女とも使われるが、文中の接頭語「お」と「ご」は主に「あなた」の変わりに使われると思われる。
l 先生はお忙しいですか。
l 展覧会はもうご覧になりましたか。
この二つの例文も男女ともに使われて、主に相手に対する敬意を表すのである。
ところが、女性はこれ以外にも「おビール」「お高い」「お友達」「お茶碗」など美化語として過剰に使う傾向がある。これがいわば現代女性語の特徴の一つで、女性の柔らかさ、丁寧さ、上品さを表す手段でもあると思われる。
(四)文法
(1)動詞未然形+ん
l 帰らん。
l 分からん。
こういう文型は動詞の否定型の一種で男性はよく会話で使う。でも女性はあまり使わない。
(2)動詞の命令形
l 早くこい。
l 早くおきろ。
会話中命令形は男性に限って使用され女性はほとんどそれを避けている。使うとしても「早く来なさい」「早く起きてください」などやや丁寧な言い方をする。
(3)女性は会話中「て」「で」を使って文を切るが男性はあまり切らない。
l もう帰って。
l 私くやしくて、くやしくて。
後ろの部分を相手に勝手に理解させることで話が柔らかくなる。
三.女性語の将来
国語研究所の調べによると、女性の敬語の支持率にしても、女性専用の終助詞の使用率にしても若い層では下がる一方で女性語がなくなるのではないかという説もないわけではない。もちろん、女性語は男性語より丁寧で女性が損をするからなくなるべきだという主張もあるが、筆者はまずなくなることはないと考えている。歴史的に作られた心理的相違、それに生理的な相違はそう簡単に消えるものではあるまいし、日本の女性特有の女らしさと柔らかさを表せる言語として直視すべきことだと思われる。
日本人的人生礼仪
昔から人々は、誕生・成年・婚姻・葬送の4つを人生の大きな節目として盛大に儀式を取り行ったが、わが国では一生に関する儀式を「冠婚葬祭」とわけた。
人生儀礼と冠婚葬祭
「冠」は元服の式で今の成人式に当たる。
「婚」は婚礼、「葬」は葬式である。
「祭」は先祖の供養である魂祭りを指している。
そしてこの4つの儀礼の間にも、成育過程や、成人後の年齢を重ねるに応じて種々の祝行事を催してきた。そこには人生に対する深い配慮が感じられる。
まず誕生に関する儀式がある。誕生に関する行事や習俗は、全国各地にさまざまな形で伝承されている。現在と違って、かつて出産は母子にとって命がけの出来事であったため、数多くの儀式を行って危機の時期に備えたのである。妊婦は出産の時期が近づくと、調度や装束を白色のものに替えて出産を迎え、出産してから七夜を迎えるまでそのままであった。そして8日目に色直しとして色物を着た。誕生のあと新生児に初めて乳を含ませる「乳付けの儀」「浴湯の儀」、また誕生当日から三、五、七、九夜に催される産養(うぶやしない)、「命名の儀」など多くの儀式が行われた。七五三の祝いは室町時代から始められた祝いで、江戸時代になって現在のような形が作られた。「髪置き」「袴着」「帯解き」などといった祝いごとが、その基礎になった。
大人の仲間入りをするためには、試練と呼ぶにふさわしい訓練期間が設けられ、こうした試練をクリアすることによって新しく仲間入りすることが許された。人生のなかで通過しなければならない試練を人類学では「通過儀礼」とよんでおり、世界中にそうした儀礼が数多く残されている。通過儀礼は特定の場所に一時的な施設を作り、日常の空間から隔離された状態で行うことが必要な条件となる。そしてそれに参加する者は、儀式のなかでこれまでの在り方を死という形で打ち消し、異なった状態を経て新しい役割を帯びた者として誕生するという劇的形式を取ることが多い。こうした人生儀礼を行うことによって、本人はもとよりまわりの人々にも彼の共同体の中での新しい役割を担い、また新しい秩序の中に順応させる力をもつことが出来た。
このような、かっての村の共同体のなかで行われた人生儀礼は、明治以後は学校教育が引き受けるようになり、これまでの人生儀礼は、七五三や成人式などにわずかに残っているだけである。昔の人生儀礼は、村の生活と密接な関係をもって行われたが、現在では形骸化してしまったものもある。結婚し子どもが生まれ、社会人として活躍する年代には、厄年というのがを人生の節目となっている程度で、特に人生儀礼といったものは行われない。平安朝には、「四十の賀」「五十の賀」などといった「算賀」の祝いがあったが、現在では「還暦」といっても当然であるというほど人々の寿命が伸び、「古稀」「喜寿」「米寿」の年代を迎えることも珍しくなくなった。かっては、還暦になると家督を長男に譲って隠居するのが建前であったが、現在では退職後も働くことを希望し、それを実践することが普通の状態となり、高齢者独自の文化といったものがなくなってしまった。
以前は、隠居すると、神社の氏子として奉仕するのが老人の役割であった。こうして年寄りは信仰の生活に入ることができた。このように人生儀礼が日本人の一生のサイクルと調和した形で行われていたのである。しかしながらそうした伝統が失われつつある現在、新しい時代にふさわしい人生儀礼の提案することがますます必要になってきているのである。
中译
从古到今人们在出生・成年・婚姻・葬礼4大人生节目来临时都会举行盛大的仪式。在我国把这四项涵盖一生的仪式称为“冠婚葬祭”。
人生礼仪与冠婚葬祭
「冠」在古代代表戴冠仪式演变为现在的成人仪式。
「婚」即是婚礼,「葬」即是葬礼。
「祭」则指的是供养祖先的拜祭仪式。
且在这4大人生仪式当中,少年时代及成年后到了一定的年龄也会有相应各种各样的仪式。从这些仪式中我们能感觉到人类对人生的深切忧虑。
首先是与出生有关的仪式。在全国各地有流传着各式各样与婴儿出生相关的仪式或习俗。与现代不同的是,在古代生产对母子而言都是性命攸关的事情。所以会进行很多仪式来预备着危险时刻的到来。临近预产期时孕妇的日常用品及服装都要换成白色来迎接生产。这样的装束要保持到诞下孩子后第七天的夜里。到了第8天则要换上鲜艳的衣物。孩子出生后有第一次吃奶的“出乳仪式”“洗礼式”。从出生之日起到第3、5、7、9天夜里有“产养仪式”“命名仪式”等多种仪式。七五三典礼是从室町时代兴起的庆典,从江戸時代开始演变成了今天的形式。「总角」「着裙」「解带」等仪式是七五三典礼形成的基础。
为了加入成人的行列就必须参加被称为“试练”的特训时期。只有通过试练才被成人世界所承认。在人生中必须通过的试练在人类学上称为“通过仪式”。世界上许多角落还保存着这种古老的仪式。进行通过仪式要在特定的场所建造临时性的住所内,必须让受训者处于与日常生活空间隔离的环境下。而且在许多国家都表现为通过一个戏剧化的仪式,来展示受训者必须以死亡的形式彻底把自己从原来的生活方式中脱离出来,通过经历一个全新的状态来“诞生”一个开始担负责任的新人过程。在这样的人生仪式后,受训者本人及周围的人都在他所在的共同体中担负起了全新的责任,同时也具备了维护这个全新秩序的能力。 这种曾经在村落共同体中举行的人生仪式在明治以后演变成了入学校受教育。到了现代保留下来的人生仪式到现在只保留下来七五三及成人仪式。从前的人生仪式与村落生活密切相关,到了现在已经成为了一种形式。在这个按着成家立业然后成为活跃在这个社会上的一分子的时代,所谓的灾年也成了平淡人生的一个节日。现代人已经不会特别注重什么人生仪式。在平安朝时代,有「四十大寿」「五十大寿」等「算寿],现在只有「还历」(61岁),因为人的寿命比以前增加了不少。迎来「古稀」「喜寿」「米寿」也不算什么稀奇的事情。以前还历就意味着要将家长的位置让给长男而开始安享晚年,而现在退休后也希望能继续工作,更有许多老人实践了这样的理想,形成了独特的高龄文化。
从前老人安享晚年后,有很大一部分都去了神社出家。从而融入了信仰的生活。这种人生礼仪与和谐地融入了日本人的整个人生过程。但现在这样的传统已日渐式微,我们必须寻找符合当今时代精神的新一代人生礼仪。
内容:
帯祝い 妊娠5ケ月
出産祝い 出産1カ月以内
お七夜 7日目
初宮参り 出産1カ月
食い初め 誕生100~120日
初節句 3月3日、5月5日
初誕生 1年後
七五三 3・5・7才
入学祝い 幼稚・保育園
十三参り 13才
成人祝い 20才
長寿の祝い 60才~100才
1 帯祝い
江戸時代から始まったといわれる「帯祝い」は、妊婦の安産を祝って下腹部に帯を巻く儀式である。これは、妊娠5か月に入って、妊婦と胎児の無事を願っての儀式、帯を巻くことで、腹部の動揺を防ぎ、また腰痛や冷えから妊婦を守るという意味がある。この儀式は、妊娠五か月目の戌の日を選んで行われる。戌(犬)は多産でお産も軽いので、十二支のなかから戌の日が選ばれた。この儀式に用いる帯を岩田帯ともいう。白木綿一筋と紅白の絹帯を二筋と妻の実家から贈る風習がある。妊婦がふだん身につけるものは白木綿であるが、紅白の絹帯は儀式用であり、祝いがすめばそのまましまっておき、子供が誕生したのち、染めて初着に仕立てた。現在は伸縮性のある素材を使用したものが普及している。 帯以外の贈り物としては、マタニティドレスなどがあるが、現金のお祝いも喜ばれる。
なおこの時の儀式には、帯を締めて祝いの言葉を述べ、そのあと祝膳を設ける習わしがある。
2 出産祝い
日本には誕生に関する礼法が重んじられている。妻の実家で出産した場合は姑が出産祝いを持参し、婚家で出産した場合には、妻の実家から産着を祝いとして贈った。しかし最近では病院等で出産するため、そうしたしきたりは薄れてきている。出産の「内祝」は、お祝いを頂いたかどうかに関係なく親しい人やお産で世話になった人たちに品物を贈った。しかし最近では、お祝い品を贈ってくれた人に、お返しとして「内祝」を行うことが一般的になっている。「内祝」の時期は出産後、一か月くらいたったお宮参りのころに行なう。「内祝い」の品は、赤飯、紅白の餅、紅白の砂糖、かつおぶしなどの祝儀用品を贈る習慣がある。金額はいただいた品の半額から3分の1程度である。紅白蝶結びののし紙に「内祝」と表書きをし、子供の名前を入れる。
3 お七夜
誕生して七日目をお七夜と呼んで、新生児の成育の無事を祈る行事がある。昔は産養い(うぶやしない)ともいい、七夜のほか、二夜・五夜・九夜の儀式があった。かっては、誕生後七日目に新生児の名前を決めて祝った。お七夜の席には、名付け親は奉書紙に、「命名○○○」と筆で記し、子供の生年月日と、命名者の署名をしたものを持参した。そして嬰児に新調の産着を着せて、祝いの膳についた。
◎命名
しきたりでは、名付け親は親類の中での長老格の人や、妻の実家の祖父などから選ばれたが、最近では親がつけることが多い。名前に使用する漢字は、常用漢字と人名漢字の中から選ぶ。それ以外の字は、戸籍係に受付けてもらえないので注意が必要である。名前が決まったら、奉書紙に「命名○○○」と書き、左端に生年月日を記したものを白木の台などに載せて神棚に供進する。
◎出生届
出生届は、赤ちゃんが生まれた日から2週間以内に届ける。届出の場所は、出生地か本籍地、または届出人の現住所、いずれかの市区町村の役場で行う。届出人は嬰児の父親、母親、同居人、お産に立ち会った医師か助産婦などの順に届出の義務が定められている。届出に必要な書類は、出生届書と医師または助産婦の出生証明書、母子健康手帳の3種類。母子健康手帳は、妊娠が医師に確認されたら、すぐに居住地の役所に届けて交付してもらう。
中译
束带仪式 怀孕五个月
出生祝贺 出生一个月内
七夜 出生第7天
首次拜神 出生一个月
首次授食仪式 出生100~120日
初次过节 3月3日、5月5日
周岁庆 1年后
七五三 3・5・7岁
入学祝贺 幼稚园・托儿所
十三岁参拜 13岁
成人仪式 20岁
寿辰 60岁~100岁
1 束带仪式
从江户时代开始的「束带仪式」是为了预祝孕妇顺产而在她的下腹部缠绕带子的仪式。从怀孕5个月开始,举行祝愿妊娠及胎儿平安的仪式,通过缠绕带子,来防止流产,且防止腰疼及受冷以达到安产的作用。这个仪式一般选在怀孕5个月后的戌日进行。戌(犬)多产且多顺产,所以在十二支中选择戌日。该仪式所用的带子称为岩田带,是由一条白棉带子和两条一条红一条白的丝带组成。一般由妻子的娘家赠送。孕妇一般缠白棉带,红白的丝带一半用于举行仪式,仪式后收起来,直到孩子诞生后才染上颜色准备制作成新生儿的襁褓。现在一般用具有伸缩性的材质。在腰带以外也有赠送孕妇装或直接送现金的。同时也有在给孕妇缠腰带时要说祝福的话,举行仪式后设宴款待大家的风俗。
2 出生祝贺
在日本关于出生有很繁琐的礼节。在妻子的娘家生产时婆婆要去参加出生祝贺;在婆家生产时娘家要送去襁褓做贺礼。但因为现代人习惯在医院生产,这种风俗也就渐渐淡了。庆祝出生的「内祝」所选的礼品则可以和出生这个主题毫无关系而只是向亲人及为孕妇出过力的人赠送谢礼。但在现代接受了出生贺礼后又回赠「内祝」的做法越来越普及。赠送「内祝」的时间为生产后一个月左右进行土地神参拜时。「内祝」所赠礼品一般为红豆饭、红白饼、紅白糖、干松鱼等专用礼品。花费金额一般在收到的礼品的一半到三分之一。一般在礼品上包裹用浆糊纸做得红白蝴蝶结,纸面写上「内祝」的字样,并署上孩子的名字。
3 七夜
孩子出生的第七天成为七夜。在那天要举行祈祷新生儿健康成长的仪式。从前也成为产养仪式。除七夜外,还有二夜・五夜・九夜举行的仪式。从前在出生后的第七天要给新生儿取名祝贺。在七夜仪式上,为孩子取名的亲人要在、名付け親は奉书纸上写下「命名○○○」的字样,同时署上孩子的出生年月日及取名人的姓名。然后再给孩子穿上新襁褓,喂祝贺食品。
◎取名
按常规取名人由孩子亲人中最权威的长辈担任。从前一般由外祖父之类的人来取名,现在多由孩子父母去名。姓名使用的汉字应该从常用汉字和人名汉字中选择,如果使用之外的生僻字,有可能造成户籍管理部门不予受理的情况,必须注意。决定要名字后,就在奉书纸上写上「命名○○○」,在纸的左端记下孩子的出生年月日然后装入白木匣子中供进神龛。
◎出生证明
出生证明在婴儿出生日算起2周内填报。需填报的内容有孩子的出生地及籍贯,还有填报人的现住所等,受理机构为任何一个市区町村的政府办事处。填报人按婴儿的父亲、母亲、同住者、接生医生及助产护士的顺位进行。必须填写的文件有出生证明、医生或助产护士填写的出生证明书及母子健康纪录3种。母子健康纪录由医生签署后立即交给居住地的政府办事处。
4初宮参り
初宮参りは、赤ちゃんが氏神の子となるための儀式で、出生地かこれから住む土地の氏神へ参拝するのがしきたりである。誕生して1か月後ぐらいを幼児の忌み明けにあたり、産土神(自分が生まれた土地の守り神)や氏神にあたる神社に参詣し、初めて産土の子、あるいは氏神の子(氏子)となる。
◎初宮参りの日
初宮参りの日は地方によって違うが、男の子は生後30日目、女の子は生後31日目とされている。伊勢地方では百日詣といって、男女とも生後百日目に行うo
◎初宮参りの仕方
お参りの仕方は、神前で合掌して祈願するが、社務所に申し出ると、神官がお祓いをして祝詞を上げてくれる。お礼はのし袋に「御玉串料」とか「御初穂料」と表書きする。
◎初宮参りの付き添い
ふつう父方の祖母が赤ちやんを抱き、母親はその後に従う。これは、産後間もない母親の母体をいたわる意味と、子供は「家の子」という意味と思われる。
◎赤ちゃんの晴れ着
初宮参りのとき、赤ちゃんに白羽二重の内着を着せ、その上に妻の実家から贈られた晴れ着をかける。男児の場合は、紺か黒地の染め抜き五つ紋付の羽二重地に、めでたい図柄や、男の子らしい勇壮な図柄の「のし目模様」、女児の場合は、綸子地や縮緬地に、花柄をあしらった友禅模様の着物をかける。祖母が赤ちゃんを抱いた上から、着物の紐は首にまわして蝶結びにする。最近では、ベビードレスを着せた赤ちゃんを父親が抱き、夫婦だけで初宮参りするケースも増えている。
◎付き添いの服装
赤ちゃんの晴れ着に合わせて、付き添いの服装が決まる。従来どおりの祝い着を赤ちゃんに着せる場合、付き添いの装いは準礼装となる。祖母は色無地の紋付か地味な訪問着か色留袖などに、帯は袋帯か名古屋帯。母親は祖母と同じように、黒留袖・色留袖・色無地紋付・訪問着・付け下げに、帯は袋帯か名古屋帯をしめる。洋服の場合は、改まった感じのスーツか、アフタヌーンドレス。父親は、準礼装の略礼服かダークスーツ。
5 食い初め
食い初めは、赤ちゃんに初めてご飯を食べさせる儀式で、箸初めとか著揃えともいう。この儀式は、赤ちゃんが一生食事に困らないようにと願うもので、普通は歯が生え初める生後120日目に行う。また誕生から100日目に「色直し」という祝いがあり、これまでは白い衣服を着せておいたのが、この日に晴れ着の着初めをして祝った。この色直しと食い初めは日数が接近しているので、この2つの祝いを兼ねて食い初めの祝いとして行う場合が多い。もともと「魚味始(まなはじめ)」という行事からきたもので、必ず魚を使う。
◎祝いの食器
祝いに用いる膳は、膳、椀、箸等すべて新しいものを用意する。本格的には漆器の膳に、漆器の食器、柳の白木の箸が使われる。
◎献立
本膳は一汁三菜(飯、汁、菜三品)で、赤飯、鯛の焼き物、煮物、香の物に清汁を添える。
さらに、歯が丈夫になるようにと、歯固めの小石か、紅白の餅か勝ちグリをのせる。食い初めの儀式は、この献立を実際に食べるのではなく、食べるまねをする。順序は、飯、汁、飯、魚、汁の順に口をつけ箸を置く。
◎食い初め式
食べさせるまねをする人を養い親といい、親類の中から長寿の者が行った。しかし今では、祖父母に頼む場合が多い。まず、鯛のお頭の肉を少し箸にのせて、食べさせるまねをする。次に、赤飯や吸い物も、箸先で食べさせるまねをする。紅白の餅や小石を箸で触ってから、赤ちゃんの歯ぐきに著をそっと当て「歯固め」の式も済ませる。
6 初節句
赤ちゃんが生まれてから、最初に迎える節句を初節句という。女の子は3月3日のひな祭(桃の節句)が初節句になり、男の子は5月5日の端午の節句が初節句となる。
◎初節句の由来
中国では3月3日に、身のけがれを祓うために川に入ってみそぎを行った。平安時代に日本に入ったこの風習は、人形(ひとがた)を作って、自分の汚れを取り除く雛人形に形を変化させていった。ひな祭の祝いにはひな壇に菱餅やひなあられ、白酒などを供え。端午の節句の時には、鯉のぼりをあげ、武者人形を飾り、ちまきや柏餅を供えて祝う。ひな人形の飾り方は向かって左に男びな、右に女びなを飾る。端午の節句は、薬草として力のあるよもぎや菖蒲を湯に入れて毒気祓いをした。江戸時代には武者人形や出世魚の鯉が飾られるようになった。「御初節句」と書く。人形の代わりに現金を贈るときは「御人形料」とする。
中译
4首次拜神
首次拜神是确认婴儿为土地神之子,而参拜出生地或居住地的土地神的习俗。婴儿出生后一个月左右出了禁忌日后,去土地神(出生地的守护神)及氏族神所在的神社参拜。自此婴儿正式成为土地神或氏族神之子(氏子)。
◎首次拜神的日子
首次拜神的日子各个地方存在差异。一般男孩为出生后第30天;女孩为第31天。伊势地区的风俗则为百日参拜。男女孩都在出生满百日时参拜神社。
◎首次拜神的拜法
首次拜神的拜法为:在神前合掌祈祷,然后去社务所由神官支持驱魔祈福并给婴儿祝福。礼金则放在上面写着「御玉串料」とか「御初穗料」的浆糊纸袋中。
◎首次拜神的辅助仪式
通常先由奶奶抱着婴儿,然后再由母亲抱。这代表婴儿出生后必须体恤刚刚经历了生产痛苦的含义,也有表示这个孩子已经成为“家里的孩子”的意思。
◎婴儿的礼服
在首次拜神时,给婴儿穿着纯白纺绸内衣,外面是妻子娘家所送的礼服。男孩的礼服为染成深蓝色或黑色的五条纹纺绸和服,上面织上喜庆的或代表男孩壮实勇敢的“乌贼眼花纹”图案;女孩的礼服则为印花绸或泡泡纱质的和服,上面织有友禅纹(花鸟图案)。祖母不但要抱着孩子,还要把和服的带子缠在脖子上系成蝴蝶结形。现在也有越来越多家庭是由父亲抱着穿宝宝服的婴儿,只是夫妇两个带着孩子进行首次拜神。
◎其他人穿着
通常配合婴儿的礼服来决定穿着什么。婴儿穿着传统的和服礼服时就穿着准礼服。祖母穿着素色无花纹的访问装或彩色短袖和服。腰带用袋帯或名古屋帯。母亲和祖母一样,也穿黑色短袖和服・彩色短袖和服・素色无花纹和服・访问装・便和服,腰上系袋带或名古屋带。婴儿穿洋装时就穿感觉庄重的衬衣或午后会客服。父亲穿着简礼服或黑礼服。
5 首次授食仪式
首次授食仪式为婴儿初次吃饭时举行的仪式。也称为首筷仪式或备筷仪式。举行这个仪式是为了祝愿婴儿能一生衣食无忧。一般在婴儿长牙后大概在出生后120天举行。婴儿在出生后第100天还会举行“改装仪式”。即祝贺婴儿换下从出生至今的白色衣服,而改换颜色鲜艳的衣着。因为“改装仪式”和“首次授食仪式”时间接近,通常情况下把这两项仪式和并一起庆祝。因为最初是从「初次食鱼」仪式演变而来的,所以在首次授食时必须有鱼。
◎仪式用食器
必须准备一套全新的饭桌、碗筷用于仪式。正式一点的话应该用在漆器的饭桌上,摆放漆器的食器及白柳木的筷子。
◎菜单
仪式所用的饭菜通常准备三菜一汤(饭、汤、菜三样),一般为红豆饭、烤鲤鱼、炖菜及香料的清汤。
另外还会准备坚固牙齿的小石头或红白饼或胜利之栗。在首次授食仪式上这些饭菜不是用来实际进餐的,而是做一个吃的样子,按饭、汤、饭、鱼、汤的顺序挟一筷子送到嘴边。
◎首次授食仪式
喂食人被称为养父母,一般是亲戚中长寿的老人。但现在一般由孩子的祖父母施行。先挟一小块鲤鱼头上的肉,送到小孩嘴边,然后再挟红豆饭或汤。然后用筷子碰红白饼或小石子,再轻敲婴儿的牙齿完成“坚固牙齿”的仪式。6 首次过节
婴儿出生后迎来的第一个男孩节(女孩杰)就成为首次过节。女孩节是3月3日的人偶祭(桃花节)时,男孩节是5月5日端午节时。
◎首次过节的由来
在中国有3月3日为了到河里洗净身体的污秽的习俗。平安朝时代传入日本后逐渐演变为制作能驱走身体污秽的人偶的习俗。人偶祭时要在人偶台上供上菱饼、人偶米果及白酒。端午节时有挂鲤鱼旗,做武士人偶及供奉粽子或柏饼的习俗。纸人偶的摆放方法为面对着的方向左边放男人偶,右边放女人偶。端午节时要用有药草功效可驱毒的艾草或菖蒲的水泡澡。江户时代开始做武士人偶及挂鲤鱼旗。赠送上书「首次过节祝礼」的现金红包代替人偶,此现金被称为“人偶金”。
7 初誕生
日本では、お正月を迎えるたびに年をとるという習慣であったため、誕生祝は一般には行われなかった。しかし、生まれてから一年目の誕生日だけは、昔から初誕生といって、餅をついて健やかな成長を祝った。祝い餅は、嬰児が立ち歩きができるようになったことを祝う気持ちや、健康の子どもに育つよう願いをこめてついたもので、「立ち餅」とか「力餅」などと呼ばれている。ある地方では嬰児が誕生前に歩くと、「成人してから家を遠く離れて暮らすようになる」といって、早く歩きだした子には鏡餅を背負わせて、わざと倒させるという儀式や、男の子にソロバン、筆、すずり、女の子に物さし、針などを並べ、その中から選ばせて将来を占うという風習があった。
今日では、初誕生日に赤飯をたいたり、バースデー・ケーキにローソクを一本立て、ごちそうを囲む欧米風の祝い方が一般的となっている。
◎初誕生祝いの贈り物
初誕生祝いの贈り物には、おもちや、ぬいぐるみ、衣服、靴など身のまわりの品が一般的で、贈る場合は、紅白の水引を蝶結びにしてのしをつけ、表書きは「祝初誕生日」とか、「御祝」とする。
◎お祝いのお返し
お祝いのお返しは、原則として不要。土地の習慣によっては、誕生祝いを頂いた近所の人に、餅を小さく切ったものや、赤飯を内祝いとして配るところがある。
中译
7 周岁庆
在日本有过年后就把年龄往上加一岁的习惯,所以一般不举行生日庆典。但出生后第一年的生日,从前被称为“周岁”,会做年糕来祈求孩子能健康成长。祝福年糕表达了人们祝愿婴儿能早日行走及健康成长的愿望,被称为“立年糕”或“力量年糕”。有的地方有如果婴儿在周岁前学会走路,「成人后就会在离家很远的地方生活」的说法。所以有给很早就学会走路的孩子背上镜年糕来故意让他摔倒的仪式。另外还有在男孩面前摆上算盘、笔、砚台,给女孩面前摆上量斗、针等物品抓周,从孩子的选择来预测这个孩子的将来的风俗。
如今在周岁庆时一般会采用煮红豆饭,准备插了一根蜡烛的奶油蛋糕,然后做一桌好菜全家吃等西式庆祝形式。
◎周岁礼物
周岁礼物一般会送玩具、毛绒娃娃、衣服、鞋子等小孩的日常用品。在赠送礼物时附上绑上红白蝴蝶结形绸带的礼签,上面写上“祝贺周岁”或“祝贺”的字样。
◎还礼
一般周岁礼物不需要准备还礼。但各个地方习惯不同,有的地方会给来周围的人送上切成小块的年糕块或红豆饭。
8 七五三
七五三の行事は、子供の成長を祝う儀式で、数え年で男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳にお祝いを行う。しかし最近は満年令で祝う人が多くなっている。武家社会では、男女とも3歳になった時に、「髪置きの式」といって、それまで剃っていた髪を長く伸ばして、唐子まげを結う儀式があった。男児が五歳になったときには、「袴着の式」があり、男児が袴をはき、小袖を着て、扇子をもって碁盤の上に吉方を向いて立つ儀式があった。 また、女児が7歳になると、「帯解きの式」といって、着物の付けひもをとって、本式の帯をしめ、着物は振り袖にかえる儀式を行った。このように、七五三は、この3つの儀式をまとめたもので、11月15日に決められたのは、この日に五代将軍徳川綱吉の子、徳松の祝いを行ったからだといわれている。
◎お宮参り
お宮参りには、近くの氏神へ行くのが昔からのしきたりだが、都市部などでは、有名な神社に参拝することが多い。社務所に申し出て、神官にお祓いをしてもらうこともある。お宮参りのあとには、千歳飴を買い、親類などに配り、子供の成長の喜びを分かち合う。
◎晴れ着
3歳の女児の晴れ着には、生後一か月の初宮参りのときの掛け着に、袖なしの被布を着せる。5歳の男児の服装は、着物なら紋付の、のし目模様の長袖着に羽織・袴といった正式なもの。洋服であれば、背広のような改まったものを着る。7歳の女児の晴れ着は、総柄の友禅の着物に帯をしめ、しごき帯を垂らし、筥迫を胸元に入れ、帯の間に扇子をはさむのが正式。
◎付き添いの服装
付き添いの服装は、子供の服装と調和のとれたものが望ましい。子供が正式な服装の場合は、母親は黒留袖・訪問着などの礼装か略礼装にする。洋服では改まった感じのドレスかワンピース。父親はダークスーツなどにする。
◎七五三の贈り物
七五三の祝いの品には、それぞれの年令にあったものを贈りたい。一般にお宮参りの晴れ着に必要な小物などが贈られる。女児ならハンドバッグやリボン、男児ならワイシャツやネクタイなど、お正月や小学校の入学式などにも使えるものを、前以て子供の両親に聞いてから選ぶようにしている。正式な晴れ着をそろえる場合は、母方・父方のそれぞれの実家が、費用を負担する例もある。お祝いの品には紅白の水引を蝶結びにしてのしをつけ、表書きは「御祝」「祝七五三」とする。
◎お返し
お祝いに対するお返しは、いただいた品物の3分の1くらいの金額を目安とする。表書きは「内祝」として、子供の名前を書き、その右肩に年令を書く。遠方からお祝いをもらった場合は、お礼の品とともに、別便で礼状と七五三の記念写真を同封することもよい。
◎記念写真
七五三の記念撮影は、晴れ着に千歳飴を持ち、一人で撮る場合や、両親と一緒に撮影する場合がある。会館で記念撮影の予約を行っている所もあり、また撮影にあたっては貸衣裳で行う事も可能となっている。七五三の祝衣裳、着付けメイク、写真、お祓い、祝宴が一度に整う会館。主催は両親が建前であるが、実際は祖父母が孫のために行う場合が多い。千葉県・茨城県では結婚式と同様の規模で行われるところもあり、大きなマーケットとして注目されている。
◎日取り
11月15日を中心に10月~12月の大安吉日を選んで行われる。招待する方の都合も考え、土日を希望する人が多いが、結婚式シーズンと重複するため、ゆったりできる平日を選ぶ場合が増えている。
◎招待状
本人、両親、両家実家の祖父・祖母くらいまでの会食会であれば不要であるが、親戚・近隣・両親の媒酌人・来賓までご招待して宴を張る場合はあらかじめ2カ月位前に招待状を送る。
◎お祝いの席
内祝いの宴席であり、本人・両親とも上座でよいが、ある程度の列席者がある場合、両親は末席に座ることも多い。メインテーブルに本人と両親、媒酌人が座る。
◎お祝いの膳
お目出度いいわれのものを使用した本膳料理が多い。食事は赤飯又は栗おこわ、お汁粉が出される。
◎式次第・演出
①開宴の辞
②両親あいさつ
③本人あいさつ
④来賓祝辞
⑤乾杯
⑥お色直し(千歳飴を列席者に)
⑦祖父母より謝辞
⑧お開き 演出は司会・EL・VTR・ビデオメルヘン・キャンドルサービス 子供の作文、ピアノ発表
◎引出物
折詰・記念品・引菓子・紅白餅/赤飯・千歳飴・ケーキ。
内祝に熨斗をつけ、子供の名前を入れる。
◎衣裳
列席者は背広、ワンピース。
両親は背広、訪問着。
中译
8 七五三
七五三是祝贺孩子健康成长的仪式。在男孩3虚岁和5虚岁,女孩3虚岁和7虚岁时举行。但现在越来越多的人选在周岁时庆祝。在武士社会中,男孩女孩长到3岁,便要举行“留发仪式”。要将之前都剃掉的头发留长,届时束成总角。男孩到了5岁有“着裙仪式”,届时要给男孩换上和服裙和短衫,手持扇子面向吉位立于棋盘之上。女孩到了7岁就会举行“解带仪式”,解下和服的束带,系上正式的腰带,换上振袖和服。这三个仪式统称为七五三,在11月15日日举行。这个日子据说是五代将军德川冈吉之子,徳松的生日。
◎参拜神社
参拜神社是去参拜附近的家族神的古老风俗。在城市里一般会去著名的神社参拜。先去神社社务所,再由神官给孩子驱魔祈福。在参拜神社后,父母会买千岁糖分给亲友,来共同分担看到孩子健康成长的喜悦之情。
◎礼服
3岁女孩的礼服为首次参拜时所穿的和服,上着无袖和服披衣。5岁男孩的礼服如果是和服则是带熨斗花纹的长袖礼服加短外罩及和式裙裤的正装。如果为洋服则穿正式的小西服。7岁女孩的礼服是整体花纹为友禅纹的绑带和服,垂下宽腰带边,胸口装饰花纸,腰带间插上扇子的正装。
◎随行大人服装
随行大人的服装一定要配合孩子的服装风格。孩子穿正装时母亲应该穿黑留袖和服・访问和服等简便礼服。如果穿洋装则最好穿给人庄重感觉的西装礼服或连衣裙。父亲应穿黑礼服。
◎七五三的贺礼
七五三的贺礼可以是符合孩子年龄的用品。一般来说会赠送搭配参拜礼服的小饰品。一般送女孩子小手袋或丝带,送男孩白衬衫或小领带等过年或小学入学仪式上也能用的衣物。通常在买礼物前会先征求孩子父母的意见。穿着正装礼服参拜时也有的家庭由父方或母方家里承担费用。贺礼包装将红白花绳系一个蝴蝶结,下面放上写着“祝贺”或“祝贺七五三”字样的礼签。
◎还礼
七五三时的还礼一般准备约为所送礼品价值三分之一的物品。在礼品表面写上「内祝」字样及孩子姓名,在右上角标明年龄。收到远方来的礼品时要在送还礼时另外寄感谢函及七五三的纪念照片。
◎記念照片
七五三的纪念照片照的是孩子穿着礼服拿着千岁糖的样子。有的家庭就给小孩一个人照有的家庭则和父母亲一起照。有的人是去专门的仪式策划公司预约拍照也有人是在照相前才租衣服。仪式策划公司可以一手包揽七五三的礼服、化妆、照片、祈福及宴席一整套程序。一般按道理是由父母亲操办整个仪式,但实际情况有好多是由祖父母为孙子孙女庆祝。在千叶县・茨城县七五三的仪式和结婚仪式一样规模盛大,成为一个巨大的市场被众商家瞩目。
◎日期
以11月15日为中心在10月~12月间选一个大吉的日子。考虑到赴宴人的实际情况,一般人都希望选在星期六举行。但因为正好与结婚仪式的时间冲突越来越多的人会尽可能选择非节假日举行。
◎请帖
如果只是招待本人、双亲、两家的祖父母的家庭小聚会不需要发请帖,但如果是要请亲戚・邻居・双亲的媒人・其他来宾的大宴会则需提前两个月发出请帖。
◎宴席
如果只是家宴,一般由本人或父母坐上座。如果有其他列席者,多由双亲坐末席。主桌由孩子本人、双亲及媒人入座。
◎宴席菜色
一般采用具有喜庆意味的正式日式料理。主食为红豆饭或板栗糯米小豆饭、年糕片红豆汤。る。
◎宴席程序
①开宴祝词
②双亲讲话
③本人讲话
④来宾祝词
⑤干杯
⑥换装(给列席者分发千岁糖)
⑦祖父母谢词
⑧结束 演出一般有司仪主持・EL・VTR・童话录像・蜡烛服务 孩子的作文朗诵及钢琴表演
◎赠品
食盒・纪念品・点心・红白年糕/红豆饭・千岁糖・蛋糕。
在赠品上附上礼签,上面写上孩子的名字。
◎服装
列席者穿着西服、连衣裙。
双亲穿着西服及访问和服。
人生儀礼と冠婚葬祭
「冠」は元服の式で今の成人式に当たる。
「婚」は婚礼、「葬」は葬式である。
「祭」は先祖の供養である魂祭りを指している。
そしてこの4つの儀礼の間にも、成育過程や、成人後の年齢を重ねるに応じて種々の祝行事を催してきた。そこには人生に対する深い配慮が感じられる。
まず誕生に関する儀式がある。誕生に関する行事や習俗は、全国各地にさまざまな形で伝承されている。現在と違って、かつて出産は母子にとって命がけの出来事であったため、数多くの儀式を行って危機の時期に備えたのである。妊婦は出産の時期が近づくと、調度や装束を白色のものに替えて出産を迎え、出産してから七夜を迎えるまでそのままであった。そして8日目に色直しとして色物を着た。誕生のあと新生児に初めて乳を含ませる「乳付けの儀」「浴湯の儀」、また誕生当日から三、五、七、九夜に催される産養(うぶやしない)、「命名の儀」など多くの儀式が行われた。七五三の祝いは室町時代から始められた祝いで、江戸時代になって現在のような形が作られた。「髪置き」「袴着」「帯解き」などといった祝いごとが、その基礎になった。
大人の仲間入りをするためには、試練と呼ぶにふさわしい訓練期間が設けられ、こうした試練をクリアすることによって新しく仲間入りすることが許された。人生のなかで通過しなければならない試練を人類学では「通過儀礼」とよんでおり、世界中にそうした儀礼が数多く残されている。通過儀礼は特定の場所に一時的な施設を作り、日常の空間から隔離された状態で行うことが必要な条件となる。そしてそれに参加する者は、儀式のなかでこれまでの在り方を死という形で打ち消し、異なった状態を経て新しい役割を帯びた者として誕生するという劇的形式を取ることが多い。こうした人生儀礼を行うことによって、本人はもとよりまわりの人々にも彼の共同体の中での新しい役割を担い、また新しい秩序の中に順応させる力をもつことが出来た。
このような、かっての村の共同体のなかで行われた人生儀礼は、明治以後は学校教育が引き受けるようになり、これまでの人生儀礼は、七五三や成人式などにわずかに残っているだけである。昔の人生儀礼は、村の生活と密接な関係をもって行われたが、現在では形骸化してしまったものもある。結婚し子どもが生まれ、社会人として活躍する年代には、厄年というのがを人生の節目となっている程度で、特に人生儀礼といったものは行われない。平安朝には、「四十の賀」「五十の賀」などといった「算賀」の祝いがあったが、現在では「還暦」といっても当然であるというほど人々の寿命が伸び、「古稀」「喜寿」「米寿」の年代を迎えることも珍しくなくなった。かっては、還暦になると家督を長男に譲って隠居するのが建前であったが、現在では退職後も働くことを希望し、それを実践することが普通の状態となり、高齢者独自の文化といったものがなくなってしまった。
以前は、隠居すると、神社の氏子として奉仕するのが老人の役割であった。こうして年寄りは信仰の生活に入ることができた。このように人生儀礼が日本人の一生のサイクルと調和した形で行われていたのである。しかしながらそうした伝統が失われつつある現在、新しい時代にふさわしい人生儀礼の提案することがますます必要になってきているのである。
中译
从古到今人们在出生・成年・婚姻・葬礼4大人生节目来临时都会举行盛大的仪式。在我国把这四项涵盖一生的仪式称为“冠婚葬祭”。
人生礼仪与冠婚葬祭
「冠」在古代代表戴冠仪式演变为现在的成人仪式。
「婚」即是婚礼,「葬」即是葬礼。
「祭」则指的是供养祖先的拜祭仪式。
且在这4大人生仪式当中,少年时代及成年后到了一定的年龄也会有相应各种各样的仪式。从这些仪式中我们能感觉到人类对人生的深切忧虑。
首先是与出生有关的仪式。在全国各地有流传着各式各样与婴儿出生相关的仪式或习俗。与现代不同的是,在古代生产对母子而言都是性命攸关的事情。所以会进行很多仪式来预备着危险时刻的到来。临近预产期时孕妇的日常用品及服装都要换成白色来迎接生产。这样的装束要保持到诞下孩子后第七天的夜里。到了第8天则要换上鲜艳的衣物。孩子出生后有第一次吃奶的“出乳仪式”“洗礼式”。从出生之日起到第3、5、7、9天夜里有“产养仪式”“命名仪式”等多种仪式。七五三典礼是从室町时代兴起的庆典,从江戸時代开始演变成了今天的形式。「总角」「着裙」「解带」等仪式是七五三典礼形成的基础。
为了加入成人的行列就必须参加被称为“试练”的特训时期。只有通过试练才被成人世界所承认。在人生中必须通过的试练在人类学上称为“通过仪式”。世界上许多角落还保存着这种古老的仪式。进行通过仪式要在特定的场所建造临时性的住所内,必须让受训者处于与日常生活空间隔离的环境下。而且在许多国家都表现为通过一个戏剧化的仪式,来展示受训者必须以死亡的形式彻底把自己从原来的生活方式中脱离出来,通过经历一个全新的状态来“诞生”一个开始担负责任的新人过程。在这样的人生仪式后,受训者本人及周围的人都在他所在的共同体中担负起了全新的责任,同时也具备了维护这个全新秩序的能力。 这种曾经在村落共同体中举行的人生仪式在明治以后演变成了入学校受教育。到了现代保留下来的人生仪式到现在只保留下来七五三及成人仪式。从前的人生仪式与村落生活密切相关,到了现在已经成为了一种形式。在这个按着成家立业然后成为活跃在这个社会上的一分子的时代,所谓的灾年也成了平淡人生的一个节日。现代人已经不会特别注重什么人生仪式。在平安朝时代,有「四十大寿」「五十大寿」等「算寿],现在只有「还历」(61岁),因为人的寿命比以前增加了不少。迎来「古稀」「喜寿」「米寿」也不算什么稀奇的事情。以前还历就意味着要将家长的位置让给长男而开始安享晚年,而现在退休后也希望能继续工作,更有许多老人实践了这样的理想,形成了独特的高龄文化。
从前老人安享晚年后,有很大一部分都去了神社出家。从而融入了信仰的生活。这种人生礼仪与和谐地融入了日本人的整个人生过程。但现在这样的传统已日渐式微,我们必须寻找符合当今时代精神的新一代人生礼仪。
内容:
帯祝い 妊娠5ケ月
出産祝い 出産1カ月以内
お七夜 7日目
初宮参り 出産1カ月
食い初め 誕生100~120日
初節句 3月3日、5月5日
初誕生 1年後
七五三 3・5・7才
入学祝い 幼稚・保育園
十三参り 13才
成人祝い 20才
長寿の祝い 60才~100才
1 帯祝い
江戸時代から始まったといわれる「帯祝い」は、妊婦の安産を祝って下腹部に帯を巻く儀式である。これは、妊娠5か月に入って、妊婦と胎児の無事を願っての儀式、帯を巻くことで、腹部の動揺を防ぎ、また腰痛や冷えから妊婦を守るという意味がある。この儀式は、妊娠五か月目の戌の日を選んで行われる。戌(犬)は多産でお産も軽いので、十二支のなかから戌の日が選ばれた。この儀式に用いる帯を岩田帯ともいう。白木綿一筋と紅白の絹帯を二筋と妻の実家から贈る風習がある。妊婦がふだん身につけるものは白木綿であるが、紅白の絹帯は儀式用であり、祝いがすめばそのまましまっておき、子供が誕生したのち、染めて初着に仕立てた。現在は伸縮性のある素材を使用したものが普及している。 帯以外の贈り物としては、マタニティドレスなどがあるが、現金のお祝いも喜ばれる。
なおこの時の儀式には、帯を締めて祝いの言葉を述べ、そのあと祝膳を設ける習わしがある。
2 出産祝い
日本には誕生に関する礼法が重んじられている。妻の実家で出産した場合は姑が出産祝いを持参し、婚家で出産した場合には、妻の実家から産着を祝いとして贈った。しかし最近では病院等で出産するため、そうしたしきたりは薄れてきている。出産の「内祝」は、お祝いを頂いたかどうかに関係なく親しい人やお産で世話になった人たちに品物を贈った。しかし最近では、お祝い品を贈ってくれた人に、お返しとして「内祝」を行うことが一般的になっている。「内祝」の時期は出産後、一か月くらいたったお宮参りのころに行なう。「内祝い」の品は、赤飯、紅白の餅、紅白の砂糖、かつおぶしなどの祝儀用品を贈る習慣がある。金額はいただいた品の半額から3分の1程度である。紅白蝶結びののし紙に「内祝」と表書きをし、子供の名前を入れる。
3 お七夜
誕生して七日目をお七夜と呼んで、新生児の成育の無事を祈る行事がある。昔は産養い(うぶやしない)ともいい、七夜のほか、二夜・五夜・九夜の儀式があった。かっては、誕生後七日目に新生児の名前を決めて祝った。お七夜の席には、名付け親は奉書紙に、「命名○○○」と筆で記し、子供の生年月日と、命名者の署名をしたものを持参した。そして嬰児に新調の産着を着せて、祝いの膳についた。
◎命名
しきたりでは、名付け親は親類の中での長老格の人や、妻の実家の祖父などから選ばれたが、最近では親がつけることが多い。名前に使用する漢字は、常用漢字と人名漢字の中から選ぶ。それ以外の字は、戸籍係に受付けてもらえないので注意が必要である。名前が決まったら、奉書紙に「命名○○○」と書き、左端に生年月日を記したものを白木の台などに載せて神棚に供進する。
◎出生届
出生届は、赤ちゃんが生まれた日から2週間以内に届ける。届出の場所は、出生地か本籍地、または届出人の現住所、いずれかの市区町村の役場で行う。届出人は嬰児の父親、母親、同居人、お産に立ち会った医師か助産婦などの順に届出の義務が定められている。届出に必要な書類は、出生届書と医師または助産婦の出生証明書、母子健康手帳の3種類。母子健康手帳は、妊娠が医師に確認されたら、すぐに居住地の役所に届けて交付してもらう。
中译
束带仪式 怀孕五个月
出生祝贺 出生一个月内
七夜 出生第7天
首次拜神 出生一个月
首次授食仪式 出生100~120日
初次过节 3月3日、5月5日
周岁庆 1年后
七五三 3・5・7岁
入学祝贺 幼稚园・托儿所
十三岁参拜 13岁
成人仪式 20岁
寿辰 60岁~100岁
1 束带仪式
从江户时代开始的「束带仪式」是为了预祝孕妇顺产而在她的下腹部缠绕带子的仪式。从怀孕5个月开始,举行祝愿妊娠及胎儿平安的仪式,通过缠绕带子,来防止流产,且防止腰疼及受冷以达到安产的作用。这个仪式一般选在怀孕5个月后的戌日进行。戌(犬)多产且多顺产,所以在十二支中选择戌日。该仪式所用的带子称为岩田带,是由一条白棉带子和两条一条红一条白的丝带组成。一般由妻子的娘家赠送。孕妇一般缠白棉带,红白的丝带一半用于举行仪式,仪式后收起来,直到孩子诞生后才染上颜色准备制作成新生儿的襁褓。现在一般用具有伸缩性的材质。在腰带以外也有赠送孕妇装或直接送现金的。同时也有在给孕妇缠腰带时要说祝福的话,举行仪式后设宴款待大家的风俗。
2 出生祝贺
在日本关于出生有很繁琐的礼节。在妻子的娘家生产时婆婆要去参加出生祝贺;在婆家生产时娘家要送去襁褓做贺礼。但因为现代人习惯在医院生产,这种风俗也就渐渐淡了。庆祝出生的「内祝」所选的礼品则可以和出生这个主题毫无关系而只是向亲人及为孕妇出过力的人赠送谢礼。但在现代接受了出生贺礼后又回赠「内祝」的做法越来越普及。赠送「内祝」的时间为生产后一个月左右进行土地神参拜时。「内祝」所赠礼品一般为红豆饭、红白饼、紅白糖、干松鱼等专用礼品。花费金额一般在收到的礼品的一半到三分之一。一般在礼品上包裹用浆糊纸做得红白蝴蝶结,纸面写上「内祝」的字样,并署上孩子的名字。
3 七夜
孩子出生的第七天成为七夜。在那天要举行祈祷新生儿健康成长的仪式。从前也成为产养仪式。除七夜外,还有二夜・五夜・九夜举行的仪式。从前在出生后的第七天要给新生儿取名祝贺。在七夜仪式上,为孩子取名的亲人要在、名付け親は奉书纸上写下「命名○○○」的字样,同时署上孩子的出生年月日及取名人的姓名。然后再给孩子穿上新襁褓,喂祝贺食品。
◎取名
按常规取名人由孩子亲人中最权威的长辈担任。从前一般由外祖父之类的人来取名,现在多由孩子父母去名。姓名使用的汉字应该从常用汉字和人名汉字中选择,如果使用之外的生僻字,有可能造成户籍管理部门不予受理的情况,必须注意。决定要名字后,就在奉书纸上写上「命名○○○」,在纸的左端记下孩子的出生年月日然后装入白木匣子中供进神龛。
◎出生证明
出生证明在婴儿出生日算起2周内填报。需填报的内容有孩子的出生地及籍贯,还有填报人的现住所等,受理机构为任何一个市区町村的政府办事处。填报人按婴儿的父亲、母亲、同住者、接生医生及助产护士的顺位进行。必须填写的文件有出生证明、医生或助产护士填写的出生证明书及母子健康纪录3种。母子健康纪录由医生签署后立即交给居住地的政府办事处。
4初宮参り
初宮参りは、赤ちゃんが氏神の子となるための儀式で、出生地かこれから住む土地の氏神へ参拝するのがしきたりである。誕生して1か月後ぐらいを幼児の忌み明けにあたり、産土神(自分が生まれた土地の守り神)や氏神にあたる神社に参詣し、初めて産土の子、あるいは氏神の子(氏子)となる。
◎初宮参りの日
初宮参りの日は地方によって違うが、男の子は生後30日目、女の子は生後31日目とされている。伊勢地方では百日詣といって、男女とも生後百日目に行うo
◎初宮参りの仕方
お参りの仕方は、神前で合掌して祈願するが、社務所に申し出ると、神官がお祓いをして祝詞を上げてくれる。お礼はのし袋に「御玉串料」とか「御初穂料」と表書きする。
◎初宮参りの付き添い
ふつう父方の祖母が赤ちやんを抱き、母親はその後に従う。これは、産後間もない母親の母体をいたわる意味と、子供は「家の子」という意味と思われる。
◎赤ちゃんの晴れ着
初宮参りのとき、赤ちゃんに白羽二重の内着を着せ、その上に妻の実家から贈られた晴れ着をかける。男児の場合は、紺か黒地の染め抜き五つ紋付の羽二重地に、めでたい図柄や、男の子らしい勇壮な図柄の「のし目模様」、女児の場合は、綸子地や縮緬地に、花柄をあしらった友禅模様の着物をかける。祖母が赤ちゃんを抱いた上から、着物の紐は首にまわして蝶結びにする。最近では、ベビードレスを着せた赤ちゃんを父親が抱き、夫婦だけで初宮参りするケースも増えている。
◎付き添いの服装
赤ちゃんの晴れ着に合わせて、付き添いの服装が決まる。従来どおりの祝い着を赤ちゃんに着せる場合、付き添いの装いは準礼装となる。祖母は色無地の紋付か地味な訪問着か色留袖などに、帯は袋帯か名古屋帯。母親は祖母と同じように、黒留袖・色留袖・色無地紋付・訪問着・付け下げに、帯は袋帯か名古屋帯をしめる。洋服の場合は、改まった感じのスーツか、アフタヌーンドレス。父親は、準礼装の略礼服かダークスーツ。
5 食い初め
食い初めは、赤ちゃんに初めてご飯を食べさせる儀式で、箸初めとか著揃えともいう。この儀式は、赤ちゃんが一生食事に困らないようにと願うもので、普通は歯が生え初める生後120日目に行う。また誕生から100日目に「色直し」という祝いがあり、これまでは白い衣服を着せておいたのが、この日に晴れ着の着初めをして祝った。この色直しと食い初めは日数が接近しているので、この2つの祝いを兼ねて食い初めの祝いとして行う場合が多い。もともと「魚味始(まなはじめ)」という行事からきたもので、必ず魚を使う。
◎祝いの食器
祝いに用いる膳は、膳、椀、箸等すべて新しいものを用意する。本格的には漆器の膳に、漆器の食器、柳の白木の箸が使われる。
◎献立
本膳は一汁三菜(飯、汁、菜三品)で、赤飯、鯛の焼き物、煮物、香の物に清汁を添える。
さらに、歯が丈夫になるようにと、歯固めの小石か、紅白の餅か勝ちグリをのせる。食い初めの儀式は、この献立を実際に食べるのではなく、食べるまねをする。順序は、飯、汁、飯、魚、汁の順に口をつけ箸を置く。
◎食い初め式
食べさせるまねをする人を養い親といい、親類の中から長寿の者が行った。しかし今では、祖父母に頼む場合が多い。まず、鯛のお頭の肉を少し箸にのせて、食べさせるまねをする。次に、赤飯や吸い物も、箸先で食べさせるまねをする。紅白の餅や小石を箸で触ってから、赤ちゃんの歯ぐきに著をそっと当て「歯固め」の式も済ませる。
6 初節句
赤ちゃんが生まれてから、最初に迎える節句を初節句という。女の子は3月3日のひな祭(桃の節句)が初節句になり、男の子は5月5日の端午の節句が初節句となる。
◎初節句の由来
中国では3月3日に、身のけがれを祓うために川に入ってみそぎを行った。平安時代に日本に入ったこの風習は、人形(ひとがた)を作って、自分の汚れを取り除く雛人形に形を変化させていった。ひな祭の祝いにはひな壇に菱餅やひなあられ、白酒などを供え。端午の節句の時には、鯉のぼりをあげ、武者人形を飾り、ちまきや柏餅を供えて祝う。ひな人形の飾り方は向かって左に男びな、右に女びなを飾る。端午の節句は、薬草として力のあるよもぎや菖蒲を湯に入れて毒気祓いをした。江戸時代には武者人形や出世魚の鯉が飾られるようになった。「御初節句」と書く。人形の代わりに現金を贈るときは「御人形料」とする。
中译
4首次拜神
首次拜神是确认婴儿为土地神之子,而参拜出生地或居住地的土地神的习俗。婴儿出生后一个月左右出了禁忌日后,去土地神(出生地的守护神)及氏族神所在的神社参拜。自此婴儿正式成为土地神或氏族神之子(氏子)。
◎首次拜神的日子
首次拜神的日子各个地方存在差异。一般男孩为出生后第30天;女孩为第31天。伊势地区的风俗则为百日参拜。男女孩都在出生满百日时参拜神社。
◎首次拜神的拜法
首次拜神的拜法为:在神前合掌祈祷,然后去社务所由神官支持驱魔祈福并给婴儿祝福。礼金则放在上面写着「御玉串料」とか「御初穗料」的浆糊纸袋中。
◎首次拜神的辅助仪式
通常先由奶奶抱着婴儿,然后再由母亲抱。这代表婴儿出生后必须体恤刚刚经历了生产痛苦的含义,也有表示这个孩子已经成为“家里的孩子”的意思。
◎婴儿的礼服
在首次拜神时,给婴儿穿着纯白纺绸内衣,外面是妻子娘家所送的礼服。男孩的礼服为染成深蓝色或黑色的五条纹纺绸和服,上面织上喜庆的或代表男孩壮实勇敢的“乌贼眼花纹”图案;女孩的礼服则为印花绸或泡泡纱质的和服,上面织有友禅纹(花鸟图案)。祖母不但要抱着孩子,还要把和服的带子缠在脖子上系成蝴蝶结形。现在也有越来越多家庭是由父亲抱着穿宝宝服的婴儿,只是夫妇两个带着孩子进行首次拜神。
◎其他人穿着
通常配合婴儿的礼服来决定穿着什么。婴儿穿着传统的和服礼服时就穿着准礼服。祖母穿着素色无花纹的访问装或彩色短袖和服。腰带用袋帯或名古屋帯。母亲和祖母一样,也穿黑色短袖和服・彩色短袖和服・素色无花纹和服・访问装・便和服,腰上系袋带或名古屋带。婴儿穿洋装时就穿感觉庄重的衬衣或午后会客服。父亲穿着简礼服或黑礼服。
5 首次授食仪式
首次授食仪式为婴儿初次吃饭时举行的仪式。也称为首筷仪式或备筷仪式。举行这个仪式是为了祝愿婴儿能一生衣食无忧。一般在婴儿长牙后大概在出生后120天举行。婴儿在出生后第100天还会举行“改装仪式”。即祝贺婴儿换下从出生至今的白色衣服,而改换颜色鲜艳的衣着。因为“改装仪式”和“首次授食仪式”时间接近,通常情况下把这两项仪式和并一起庆祝。因为最初是从「初次食鱼」仪式演变而来的,所以在首次授食时必须有鱼。
◎仪式用食器
必须准备一套全新的饭桌、碗筷用于仪式。正式一点的话应该用在漆器的饭桌上,摆放漆器的食器及白柳木的筷子。
◎菜单
仪式所用的饭菜通常准备三菜一汤(饭、汤、菜三样),一般为红豆饭、烤鲤鱼、炖菜及香料的清汤。
另外还会准备坚固牙齿的小石头或红白饼或胜利之栗。在首次授食仪式上这些饭菜不是用来实际进餐的,而是做一个吃的样子,按饭、汤、饭、鱼、汤的顺序挟一筷子送到嘴边。
◎首次授食仪式
喂食人被称为养父母,一般是亲戚中长寿的老人。但现在一般由孩子的祖父母施行。先挟一小块鲤鱼头上的肉,送到小孩嘴边,然后再挟红豆饭或汤。然后用筷子碰红白饼或小石子,再轻敲婴儿的牙齿完成“坚固牙齿”的仪式。6 首次过节
婴儿出生后迎来的第一个男孩节(女孩杰)就成为首次过节。女孩节是3月3日的人偶祭(桃花节)时,男孩节是5月5日端午节时。
◎首次过节的由来
在中国有3月3日为了到河里洗净身体的污秽的习俗。平安朝时代传入日本后逐渐演变为制作能驱走身体污秽的人偶的习俗。人偶祭时要在人偶台上供上菱饼、人偶米果及白酒。端午节时有挂鲤鱼旗,做武士人偶及供奉粽子或柏饼的习俗。纸人偶的摆放方法为面对着的方向左边放男人偶,右边放女人偶。端午节时要用有药草功效可驱毒的艾草或菖蒲的水泡澡。江户时代开始做武士人偶及挂鲤鱼旗。赠送上书「首次过节祝礼」的现金红包代替人偶,此现金被称为“人偶金”。
7 初誕生
日本では、お正月を迎えるたびに年をとるという習慣であったため、誕生祝は一般には行われなかった。しかし、生まれてから一年目の誕生日だけは、昔から初誕生といって、餅をついて健やかな成長を祝った。祝い餅は、嬰児が立ち歩きができるようになったことを祝う気持ちや、健康の子どもに育つよう願いをこめてついたもので、「立ち餅」とか「力餅」などと呼ばれている。ある地方では嬰児が誕生前に歩くと、「成人してから家を遠く離れて暮らすようになる」といって、早く歩きだした子には鏡餅を背負わせて、わざと倒させるという儀式や、男の子にソロバン、筆、すずり、女の子に物さし、針などを並べ、その中から選ばせて将来を占うという風習があった。
今日では、初誕生日に赤飯をたいたり、バースデー・ケーキにローソクを一本立て、ごちそうを囲む欧米風の祝い方が一般的となっている。
◎初誕生祝いの贈り物
初誕生祝いの贈り物には、おもちや、ぬいぐるみ、衣服、靴など身のまわりの品が一般的で、贈る場合は、紅白の水引を蝶結びにしてのしをつけ、表書きは「祝初誕生日」とか、「御祝」とする。
◎お祝いのお返し
お祝いのお返しは、原則として不要。土地の習慣によっては、誕生祝いを頂いた近所の人に、餅を小さく切ったものや、赤飯を内祝いとして配るところがある。
中译
7 周岁庆
在日本有过年后就把年龄往上加一岁的习惯,所以一般不举行生日庆典。但出生后第一年的生日,从前被称为“周岁”,会做年糕来祈求孩子能健康成长。祝福年糕表达了人们祝愿婴儿能早日行走及健康成长的愿望,被称为“立年糕”或“力量年糕”。有的地方有如果婴儿在周岁前学会走路,「成人后就会在离家很远的地方生活」的说法。所以有给很早就学会走路的孩子背上镜年糕来故意让他摔倒的仪式。另外还有在男孩面前摆上算盘、笔、砚台,给女孩面前摆上量斗、针等物品抓周,从孩子的选择来预测这个孩子的将来的风俗。
如今在周岁庆时一般会采用煮红豆饭,准备插了一根蜡烛的奶油蛋糕,然后做一桌好菜全家吃等西式庆祝形式。
◎周岁礼物
周岁礼物一般会送玩具、毛绒娃娃、衣服、鞋子等小孩的日常用品。在赠送礼物时附上绑上红白蝴蝶结形绸带的礼签,上面写上“祝贺周岁”或“祝贺”的字样。
◎还礼
一般周岁礼物不需要准备还礼。但各个地方习惯不同,有的地方会给来周围的人送上切成小块的年糕块或红豆饭。
8 七五三
七五三の行事は、子供の成長を祝う儀式で、数え年で男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳にお祝いを行う。しかし最近は満年令で祝う人が多くなっている。武家社会では、男女とも3歳になった時に、「髪置きの式」といって、それまで剃っていた髪を長く伸ばして、唐子まげを結う儀式があった。男児が五歳になったときには、「袴着の式」があり、男児が袴をはき、小袖を着て、扇子をもって碁盤の上に吉方を向いて立つ儀式があった。 また、女児が7歳になると、「帯解きの式」といって、着物の付けひもをとって、本式の帯をしめ、着物は振り袖にかえる儀式を行った。このように、七五三は、この3つの儀式をまとめたもので、11月15日に決められたのは、この日に五代将軍徳川綱吉の子、徳松の祝いを行ったからだといわれている。
◎お宮参り
お宮参りには、近くの氏神へ行くのが昔からのしきたりだが、都市部などでは、有名な神社に参拝することが多い。社務所に申し出て、神官にお祓いをしてもらうこともある。お宮参りのあとには、千歳飴を買い、親類などに配り、子供の成長の喜びを分かち合う。
◎晴れ着
3歳の女児の晴れ着には、生後一か月の初宮参りのときの掛け着に、袖なしの被布を着せる。5歳の男児の服装は、着物なら紋付の、のし目模様の長袖着に羽織・袴といった正式なもの。洋服であれば、背広のような改まったものを着る。7歳の女児の晴れ着は、総柄の友禅の着物に帯をしめ、しごき帯を垂らし、筥迫を胸元に入れ、帯の間に扇子をはさむのが正式。
◎付き添いの服装
付き添いの服装は、子供の服装と調和のとれたものが望ましい。子供が正式な服装の場合は、母親は黒留袖・訪問着などの礼装か略礼装にする。洋服では改まった感じのドレスかワンピース。父親はダークスーツなどにする。
◎七五三の贈り物
七五三の祝いの品には、それぞれの年令にあったものを贈りたい。一般にお宮参りの晴れ着に必要な小物などが贈られる。女児ならハンドバッグやリボン、男児ならワイシャツやネクタイなど、お正月や小学校の入学式などにも使えるものを、前以て子供の両親に聞いてから選ぶようにしている。正式な晴れ着をそろえる場合は、母方・父方のそれぞれの実家が、費用を負担する例もある。お祝いの品には紅白の水引を蝶結びにしてのしをつけ、表書きは「御祝」「祝七五三」とする。
◎お返し
お祝いに対するお返しは、いただいた品物の3分の1くらいの金額を目安とする。表書きは「内祝」として、子供の名前を書き、その右肩に年令を書く。遠方からお祝いをもらった場合は、お礼の品とともに、別便で礼状と七五三の記念写真を同封することもよい。
◎記念写真
七五三の記念撮影は、晴れ着に千歳飴を持ち、一人で撮る場合や、両親と一緒に撮影する場合がある。会館で記念撮影の予約を行っている所もあり、また撮影にあたっては貸衣裳で行う事も可能となっている。七五三の祝衣裳、着付けメイク、写真、お祓い、祝宴が一度に整う会館。主催は両親が建前であるが、実際は祖父母が孫のために行う場合が多い。千葉県・茨城県では結婚式と同様の規模で行われるところもあり、大きなマーケットとして注目されている。
◎日取り
11月15日を中心に10月~12月の大安吉日を選んで行われる。招待する方の都合も考え、土日を希望する人が多いが、結婚式シーズンと重複するため、ゆったりできる平日を選ぶ場合が増えている。
◎招待状
本人、両親、両家実家の祖父・祖母くらいまでの会食会であれば不要であるが、親戚・近隣・両親の媒酌人・来賓までご招待して宴を張る場合はあらかじめ2カ月位前に招待状を送る。
◎お祝いの席
内祝いの宴席であり、本人・両親とも上座でよいが、ある程度の列席者がある場合、両親は末席に座ることも多い。メインテーブルに本人と両親、媒酌人が座る。
◎お祝いの膳
お目出度いいわれのものを使用した本膳料理が多い。食事は赤飯又は栗おこわ、お汁粉が出される。
◎式次第・演出
①開宴の辞
②両親あいさつ
③本人あいさつ
④来賓祝辞
⑤乾杯
⑥お色直し(千歳飴を列席者に)
⑦祖父母より謝辞
⑧お開き 演出は司会・EL・VTR・ビデオメルヘン・キャンドルサービス 子供の作文、ピアノ発表
◎引出物
折詰・記念品・引菓子・紅白餅/赤飯・千歳飴・ケーキ。
内祝に熨斗をつけ、子供の名前を入れる。
◎衣裳
列席者は背広、ワンピース。
両親は背広、訪問着。
中译
8 七五三
七五三是祝贺孩子健康成长的仪式。在男孩3虚岁和5虚岁,女孩3虚岁和7虚岁时举行。但现在越来越多的人选在周岁时庆祝。在武士社会中,男孩女孩长到3岁,便要举行“留发仪式”。要将之前都剃掉的头发留长,届时束成总角。男孩到了5岁有“着裙仪式”,届时要给男孩换上和服裙和短衫,手持扇子面向吉位立于棋盘之上。女孩到了7岁就会举行“解带仪式”,解下和服的束带,系上正式的腰带,换上振袖和服。这三个仪式统称为七五三,在11月15日日举行。这个日子据说是五代将军德川冈吉之子,徳松的生日。
◎参拜神社
参拜神社是去参拜附近的家族神的古老风俗。在城市里一般会去著名的神社参拜。先去神社社务所,再由神官给孩子驱魔祈福。在参拜神社后,父母会买千岁糖分给亲友,来共同分担看到孩子健康成长的喜悦之情。
◎礼服
3岁女孩的礼服为首次参拜时所穿的和服,上着无袖和服披衣。5岁男孩的礼服如果是和服则是带熨斗花纹的长袖礼服加短外罩及和式裙裤的正装。如果为洋服则穿正式的小西服。7岁女孩的礼服是整体花纹为友禅纹的绑带和服,垂下宽腰带边,胸口装饰花纸,腰带间插上扇子的正装。
◎随行大人服装
随行大人的服装一定要配合孩子的服装风格。孩子穿正装时母亲应该穿黑留袖和服・访问和服等简便礼服。如果穿洋装则最好穿给人庄重感觉的西装礼服或连衣裙。父亲应穿黑礼服。
◎七五三的贺礼
七五三的贺礼可以是符合孩子年龄的用品。一般来说会赠送搭配参拜礼服的小饰品。一般送女孩子小手袋或丝带,送男孩白衬衫或小领带等过年或小学入学仪式上也能用的衣物。通常在买礼物前会先征求孩子父母的意见。穿着正装礼服参拜时也有的家庭由父方或母方家里承担费用。贺礼包装将红白花绳系一个蝴蝶结,下面放上写着“祝贺”或“祝贺七五三”字样的礼签。
◎还礼
七五三时的还礼一般准备约为所送礼品价值三分之一的物品。在礼品表面写上「内祝」字样及孩子姓名,在右上角标明年龄。收到远方来的礼品时要在送还礼时另外寄感谢函及七五三的纪念照片。
◎記念照片
七五三的纪念照片照的是孩子穿着礼服拿着千岁糖的样子。有的家庭就给小孩一个人照有的家庭则和父母亲一起照。有的人是去专门的仪式策划公司预约拍照也有人是在照相前才租衣服。仪式策划公司可以一手包揽七五三的礼服、化妆、照片、祈福及宴席一整套程序。一般按道理是由父母亲操办整个仪式,但实际情况有好多是由祖父母为孙子孙女庆祝。在千叶县・茨城县七五三的仪式和结婚仪式一样规模盛大,成为一个巨大的市场被众商家瞩目。
◎日期
以11月15日为中心在10月~12月间选一个大吉的日子。考虑到赴宴人的实际情况,一般人都希望选在星期六举行。但因为正好与结婚仪式的时间冲突越来越多的人会尽可能选择非节假日举行。
◎请帖
如果只是招待本人、双亲、两家的祖父母的家庭小聚会不需要发请帖,但如果是要请亲戚・邻居・双亲的媒人・其他来宾的大宴会则需提前两个月发出请帖。
◎宴席
如果只是家宴,一般由本人或父母坐上座。如果有其他列席者,多由双亲坐末席。主桌由孩子本人、双亲及媒人入座。
◎宴席菜色
一般采用具有喜庆意味的正式日式料理。主食为红豆饭或板栗糯米小豆饭、年糕片红豆汤。る。
◎宴席程序
①开宴祝词
②双亲讲话
③本人讲话
④来宾祝词
⑤干杯
⑥换装(给列席者分发千岁糖)
⑦祖父母谢词
⑧结束 演出一般有司仪主持・EL・VTR・童话录像・蜡烛服务 孩子的作文朗诵及钢琴表演
◎赠品
食盒・纪念品・点心・红白年糕/红豆饭・千岁糖・蛋糕。
在赠品上附上礼签,上面写上孩子的名字。
◎服装
列席者穿着西服、连衣裙。
双亲穿着西服及访问和服。
2004年2月10日星期二
日本的礼节
Lesson1 電話の対応マナー
ぞんざいな話し方をしてしまうと、それだけで会社のイメージダウンに繋がります。
きちんとした対応を心掛けましょう。
① 受け方
ベルが鳴ったら、③コール以内で出るようにしましょう。取り遅れたら、「お待たせしました」と詫びます。まずは「はい、○○会社○○課でございます」と名乗ること。「もしもし」という必要はありません。
相手が名乗ったら、「いつもお世話になっております」と言いましょう。相手の社名や名前がよく聞き取れなかった場合、もう一度、聞き返すこと。決してあいまいなままに終わらせてはいけません。
電話の内容はメモをとります。聞き間違いがないように、用件は復唱する習慣をつけましょう。電話は相手が切ってから、切ること。こちらから切るのは失礼にあたります。
② 取り次ぎ方
取り次ぐ相手が席を外している場合、出ることができない理由、外出しているのであれば、帰社時刻などを伝えます。
そして、相手の会社名や名前、電話番号を聞き、相手それともこちらから電話をするのかを確認します。内容はメモにとり、机の上に置いておきます。
③ かけ方
名乗った後、誰に取り次いで欲しいのかを伝えましょう。本人に代われば、もう一度、名乗って「いつもお世話になっております」と言います。相手が忙しいときかもしれません。話をする時間があるのかどうかを聞きます。用件は簡潔に。電話をかける前に、何を伝えたいのかを整理しておくと良いでしょう。もしも相手が不在の場合、相手それともこちらから電話をするのかを確認します。そのとき、電話を取った相手の名前を聞いておくこと。
④ 苦情の受け方
苦情電話は面倒に思わず、チャンスだと考えましょう。誠意のある受け答えをすることで、相手の心を掴むことができます。まずは謝り、相手が何を怒っているのかを聞くようにしましょう。話を遮ってはいけません。相手が悪いのではないかと疑うようなそぶりをは厳禁。
最後に苦情を言ってくれたことに対して「ありかどうございました」とお礼を言うようにしましょう。
Lesson2 お茶のマナー
お茶にはリラックス効果があります。
たった①杯のお茶のおかげで、その場の雰囲気ががらりと良くなり、仕事上でプラスに働くこともあるのです。
① 用意
人数分の茶碗と茶托、急須、お盆、ふきんを用意します。汚れや傷のあるものは厳禁です。ふきんはお茶をこばしたときの備えです。
② 入れ方
おいしく飲んでもらうために、前もって茶碗と急須を温め、きちんと人数分のお茶の葉を計っておくようにしましょう。茶さじ①杯で③人分が目安です。煎茶の適温は80度前後。ほうじ茶は沸騰したお湯を注ぎます。お茶の葉から味が出てくるまでには、20から30秒ぐらいかかります。お茶の量は7~8分目まで。
③ 入・退室
お盆は胸の辺りで持って運びます。部屋のドアをノックして、入室。その後、来客に挨拶をします。その後、サイドテーブル又は机の下手にお盆を置き、お茶を配ります。お茶を出すときは、「どうぞ」と言うように。退室するときはドアの辺りで頭を下げてから。
④ 順番
お茶を出すにも順番があります。まずは来客から。その後、社内の人間に。同じ来客でも、役職の上の人からお茶を出していきます。一緒にお茶菓子も出すのであれば、お茶菓子、お茶の順です。
⑤ 位置
もしも机に書類などが置いてある場合は、お茶を置くスペースをつくるために移動しても良いかどうかを尋ねるようにしましょう。断りもなく、触ってはいけません。置く位置は相手から見て左にお茶菓子、右にお茶が基本です。
Lesson3 立食パーティーのマナー
立食パーティーでは、飲食よりもいろんな人と親睦を深めることに重点をおきましょう。
① 取る順番
立食パーティーでは、各自で料理を取っていきます。そのとき、コース料理と同じように前菜、魚料理、肉料理、デザートの順に取っていくのがベストです。
② 取る分量
料理を取るときは皿の端から。取り散らかしてはいけません。食べられる分だけ取るようにしましょう(一度、取ったものは戻さないこと)。食べ切れずに残してしまうのは厳禁です。また、取る種類も多すぎないように。①皿につき③種類までと考えておきましょう。
③ 食べ方
食べるときは、料理を盛っているテーブルから離れたところで。また、誰かがスピーチしている最中は食べないように気をつけましょう。
④ 飲み方
近くにいる人のグラスが空になっているからと言って、お酌をする必要はありません。料理と同じく、飲み物も自分で注ぐのが基本です。また、緊垽筏皮い毪椁趣い盲啤ⅴⅴ毳畅`ルを飲み過ぎないように。
⑤ 下げ方
空になった皿やグラスはサービススタッフに渡すようにしましょう。もしも周りにいなければ、小テーブルの上に置いておくと良いでしょう。
6 交流
立食パーティーはいろんな人との交流をはかる場です。顔見知り同士で固まったり、①人で黙って食べていてはいけません。恥ずかしがらず、自分からどんどん話しかけていきましょう。
Lesson5 挨拶のマナー
挨拶は人間関係の基本です。疎かにしてはいけません。感じの良い挨拶を心掛けて、人間関係を円滑にしましょう。
① 出社したとき
出社したら、「おはようございます」と挨拶しましょう。明るく元気よく、①日のスタートを切るようにして下さい。
② 外出するとき
「○○○に行ってまいります」と行き先を告げてから、外出します。そのとき、ホワイトボードに行き先や帰社時刻を書き込むことを忘れないようにしましょう。
③ 帰社したとき
「ただいま戻りました」と帰ってきたことを知らせます。そして、外出先でのできごとを先輩や上司に伝えるようにします。
④ 先輩や上司が外出するとき
先輩や上司が出かけるときは、仕事中であったとしても手をとめて「いってらっしゃい」と言うようにしましょう。
⑤ 先輩や上司が帰社したとき
先輩や上司が帰ってきたら、「お帰りなさい」「お疲れさまでした」と挨拶します。留守中の電話やファックスは早めに伝えるようにしましょう。
6 退社するとき
お先に失礼します」と告げて、退社します。但し、残業している人がいれば「何かお手伝いしましょうか」と尋ねるようにして下さい。
7 その他
「ご苦労さまでした」は上司が部下に言う言葉です。自分よりも立場が上の人には使わないようにして下さい
Lesson6 自己紹介のマナー
自己紹介は緊張するものです。でも、ちょっとしたことに気をつければ、案外簡単なもの。肩の力を抜いて、好印象を持たれるようにして下さい。
① 最初
まずはおじぎをします。そのとき、背中を丸めないこと。背筋をピンと伸ばして、腰から頭を下げるようにして下さい。
② 名前
次に名前を名乗ります。但し、「山田です」と名字だけ言うのはいけません。必ず「山田花子です」とフルネームを言うようにして下さい。
もしも名前に難しい漢字が使われている又は②通りの読み方があるのであれば、きちんと説明するようにして下さい。
③ 出身地・趣味
名前を言った後は、「出身地は山形県です。趣味は音楽鑑賞です」と出身地や趣味などを話します。社内の人間があなたに話しかけやすくなるでしょう。但し、趣味については、マニアックなものは避けて下さい。当たり障りのないものにした方が良いでしょう。
④ 最後
締めくくりには「よろしくお願いいたします」と言い、おじぎをするようにしましょう。
⑤ その他
自己紹介をする時は、明るくはっきりとした声でするようにしましょう。ボソボソとした小さな声では、周りからマイナスの印象を抱かれかねません。また、話すときはダラダラとせず、簡潔に終わらせるようにして下さい。
Lesson7 お酒の席でのマナー
働いていると、新人歓迎会、新年会、忘年会、懇親会など、社員同士の交流を深めるためにさまざまな飲み会があります。
お酒に飲まれず、スマートな言動を心掛けましょう。
① タブー
人の身体的特徴をあげつらったような物真似などをしてはいけません。また、いくら無礼講だと言っても、上司や先輩に対して本音をぶちまけるのは避けて下さい。酔っていても、意外と覚えているものです。場合によっては、後々まで根に持たれることもあります。
② カラオケ
②次会の定番と言えば、カラオケです。部屋に入ったら、できるだけ新人から歌うようにしましょう。歌いづらいトップバッターを引き受けるのも良いことです。そのとき、上司や先輩の十八番は歌わないように気をつけます。また、マイクは独占せず、全員が歌えるようにしましょう(但し、歌うことを押しつけてはいけません)。人が歌っているときはきちんと聞くようにして下さい。他の人とのおしゃべりに夢中になるなど、もってのほかです。
③ 支払い
年が離れた上司と飲みに行ったときは、おごってもらっても良いでしょう。遠慮して割り勘を申し出ると、かえって失礼に当たる場合があります。同僚や先輩、年齢の近い上司との飲み会は割り勘にすること。その際、男女の性別は関係ありません。中には、後輩には絶対に財布を開かせないようにする先輩もいます。そういった場合、何かしら理由をつけて、③度に①度ぐらいはおごり返すようにしましょう。
④ 断り方
飲み会は人間関係を円滑にする上で大切な場です。社内の人間に飲みに誘われたら、できる限り、付き合うようにしましょう。どうしても断りたいときは、カドが立たないようにして下さい。身体の不調や先約などを理由にすると良いでしょう。そのとき、「申し訳ありませんが………」「残念ですが………」の一言を忘れずに。
Cyoki Night ~ Cooking ~ バーの達人
Vol.8 悪酔いしない飲み方 お酒の席でのマメ知識
(1) 世界で一番お酒に弱い日本人女性
(2) 悪酔い/早酔い回避のポイント
(3) 上手な飲み方・具体例
Lesson8 おじぎのマナー
相手に敬意を表すおじぎ。きちんとおじぎをすることで、良い印象を与えることができます。
おじぎには②種類あります。「立礼」と「座礼」です。
① 立礼
頭から腰までまっすぐに伸ばして、腰から折り曲げるようにします。猫背にならないように注意して下さい。また、相手よりも先に頭を上げると、失礼に当たります。ゆっくり上体を起こすなど、うまくタイミングを合わるようにしましょう。立礼には「会釈」「中礼」「最敬礼」の③種類があります。状況や相手に合わせて、使い分けるようにして下さい。
・会釈
同僚や親しい人とすれ違ったときなどに行います。上体を傾ける角度は15度程。視線は自分自身の足元から1.5メートル程のところへ向けましょう。
・中礼
自分よりも立場が上の人に対して行う挨拶です。上体を傾ける角度は30度程。視線は自分自身の足元から50~60センチ程のところへ向けます。
・最敬礼
最も丁寧な挨拶です。十分に感謝やお詫びの気持ちを伝えたいときに使いましょう。上体を傾ける角度は45~60度程。向ける視線は自分自身の足元です。
② 座礼
料亭などでは、座礼が正式な挨拶となります。まずは座布団の右側に座ります。座布団の上で挨拶をしてはいけません。その後、膝の前に指をつき(女性の場合、左右の人さし指をくっつけます。男性の場合、左右の間隔をこぶし分あけます)、上体を30度程傾けます。座布団に座るのは挨拶が終わってからです。
Lesson9 コピー&ファックスのマナー
たかがコピー、ファックスとあなどってはいけません。オフィスで使うことが多いこれらの機器。十分に使い切るようにしましょう。
コピー
① 設定
コピーする前に「サイズ、向き、部数」に間違いがないか、確認します。もしも文書が汚れていれば、修正するようにしましょう。
② 整理
コピーしたものはクリップなどでとめるようにしましょう。見やすくなるので、相手に喜ばれます。縦書きは右端、横書きは左端をとめます。
③ 注意
使い終わったら、必ずリセットすること。また、コピー中に紙づまりが起きたら、そのままにせず、きちんと直すようにしましょう(ほとんどのコピー機には、どのようにして対処したら良いか、説明がついています)。これらは次に使う人への気配りです。
ファックス
① 送信
送信状をつけるようにして下さい。送信状には「送信日、宛先、発信元、表紙を含めて○枚」と記入します。加えて、簡単な挨拶、文書の内容も書いておきましょう。送るときは文書がよじれないように気をつけること。ファックス番号と電話番号を間違えないように。送った後はちゃんと届いたかどうか、確認の電話を入れるようにします。
② 注意
重要な文書はファックスしてはいけません。また、文書の枚数が多い場合、送信するのは避けて下さい。ファックスと電話が兼用の場合、相手に迷惑をかけることになります
Lesson10 訪問のマナー
ビジネス相手の会社を訪問するときは、きちんとした手順を踏むようにして下さい。親しい相手であっても同様です。また、実際、会ったときには忙しい時間を割いてくれたことへのお礼を言うようにしましょう。
① アポイントメント
①週間前までに訪問相手の了承を得ておきましょう。アポ取りでは、訪問の目的、希望の日、所要時間、名前、人数などを伝えます。日時を決めるときは、始終業時、ランチタイム、休日、週明けの初日、月末期末などの訪問は避けて下さい。また、先方の都合を優先させるようにします。訪問相手の地位が高ければ、秘書又は部下を通すこと。その場合、取り次いでくれた人の名前を聞き、メモするようにしましょう。
予定を変更したいときは、相手に迷惑がかからないように、早めに連絡して下さい。訪問の前日又は当日の朝には、確認の電話を入れます。
② 訪問
10分前までには着くようにして下さい。遅刻しそうであれば、約束の時間よりも前に電話連絡するように。過ぎてからだと意味がありません。また、弁解はせずに、ひたすら謝るようにしましょう。
受付についたら、会社名、名前を名乗り、次に訪問相手の部署、名前、約束の時間を伝えます。
応接室で相手を待つときは下座に座るようにして下さい。ドアに近い場所が下座になります。相手に上座を勧められた場合は、席を移ってもかまいません。
③ 注意
挨拶は明るく、用件は簡潔に。そして、礼儀正しくふるまいましょう。脚を組んで話をするのは良くありません
Lesson11 退職のマナー
立つ鳥、跡を濁さず。お世話になった会社に迷惑をかけることなく、スムーズに引き継ぎをすませ、退職するようにしましょう。
① 時期
退職することに決まったら、直属の上司に伝えるようにしましょう。法律では最低②週間前に退職を伝えれば、問題ありません。しかし、会社にも都合があります。最低でも①カ月前に伝えた方が良いでしょう。
② 退職願
便せんは白無地、筆記用具は黒又は紺の万年筆を使いましょう。
③ 引き継ぎ
余裕を持って、後任者に仕事を引き継ぐようにして下さい。仕事の進行状況、段取りなど、できるだけ詳しく伝えます。
また、取引き先へ挨拶まわりし、後任者を紹介しておきましょう。挨拶できなかった取引き先に対しては、手紙を送っておくようにしましょう。
④ 返却&受け取り
会社に返却するものは、健康保険証、社員証、社員バッジ、名刺、制服、事務用品です。会社の経費で購入したものは、たとえポールペン①本でも持ち帰ってはいけません。
逆に受け取るものは、雇用保険被保険者証、源泉徴収票、年金手帳、離職票です。離職票の発行には、退職してから10日前後かかります。これは雇用保険の失業給付に必要なものです。転職先が決まっていない人は、総務部に郵送してもらって下さい。
Lesson12 手紙のマナー
手紙には人間関係を円滑にする働きがあります。マナーを踏まえた上で、分かりやすく読みやすい手紙を書くようにしましょう。
① 形式
・ 女性の場合、「一筆申し上げます」「慎んで申し上げます」などの頭語を書きます。
・ 「早春の侯(③月)」「残暑の侯(9月)」「年末ご多忙の折から(12月)」など、時候の挨拶をします。
・ 相手の安否を聞いた後、自分自身の近況を書きます。
・ 「さて」という言葉の後に本題を書き出します。
・ 「まずは書中をもってお知らせ申し上げます」と結びます。
・ 女性の場合、「かしこ」などの結語でしめくくります。
・ 日付、署名、住所などを書きます。
② 封筒
・ 改まった手紙の場合、封筒は縦書きにしましょう。住所は②行以内で、名前は封筒の中心に書きます。個人名のときは「様」、会社名や部署名のときは「御中」、役職名のときは「殿」、多数のときは「各位」と書きます。また、本人以外に見られたくないときは「親展」、請求書を送るときは「請求書在中」と朱書きします。
・ 裏面の左側には自分の住所、名前、日付を書きます。
・ セロハンテープやホッチキスではなく、糊を使って封をしましょう。最後に封筒の合わせ目に「〆」又は「封」と書きます。
③ その他
ポストに投函する前に、必ず誤字脱字がないかチェックします。もしも間違いが見つかった場合、修正液を使わず、書き直すようにしましょう。
Lesson13 タバコのマナー
吸う人は吸わない人の気持ちがわからず、吸わない人は吸う人の気持ちが分からないもの。吸う人は吸わない人へ配慮して、場所と健康を考えて吸うようにしましょう。
① 訪問中は、勝手に煙草を吸わない
・ 原則として、取引先を訪問した時などは、すべて相手の意向に従ってから行動。 (会社によっては喫煙を全面的に禁止しているところもあるため)
・ 相手側の社内においても、相手社内の規定を尊重することがビジネス社会のルールなので、喫煙に関しても同様に相手側のルールに従う。
② 面談中は、勧められるまで喫煙しない
・ 相手から勧められないうちに吸い始めるのは避ける。(タバコを吸う人にとっては、タバコは考えをまとめるのに効果があるようだが、吸わない人にとっては集中力を欠かせてしまうものでもあるため)
・ タバコを吸わない人との長時間の面談で「我慢できずどうしても吸いたい」という人は、相手に一言断り、許可を得てから吸うようにすることで、相手とも気持ちよく会話を続けられる。
③ テーブルに灰皿がない場合は、原則として喫煙を遠慮する
テーブルに灰皿のない場合、相手先が「禁煙」という意思表示をしているとも考えられる。その場所が「禁煙」かどうか尋ねてみることもできるが、相手に灰皿を取ってきてもらうなどの余計な手間を取らせてしまうため、喫煙を我慢することも必要。
④ 禁煙フロアで、来客に「タバコを吸ってもいいですか?」と言われたら?
『申し訳ありません。当社は禁煙です。タバコはご遠慮いただけますか?』
というように、
・最初に自社の都合を詫びること
・お願いするという形で終わること
をポイントとする事がよいでしょう。日本人は特に、「当社は禁煙です。タバコはご遠慮ください。」というように言い切ってしまうと不愉快に感じてしまう人も多いようです。なので、言い方としてはお願いするという形がよいでしょう。
Lesson14 ご祝儀のマナー
最近では、祝儀袋は100円ショップのものからたくさんの装飾が施された豪華なものまで、さまざまなタイプのものがあります。でも、結局のところは、中に入れる金額にあわせた祝儀袋を選びましょう。
① ご祝儀袋の表書きについて
ご祝儀袋には掛け紙をせず直接袋に書く。「表書き」は中央の水引きを境に上段中央に「御祝」などの文字、下段中央、あるいは左側に贈り手の姓名を墨書きする。毛筆に不慣れな方でも、ボールペンや万年筆を使っては失礼にあたるため、丁寧に気持ちをこめて書くこと。ただし最近では,筆ペン、サインペンなら使うこともよしとされているようです。姓名はフルネームを楷書で書くようにしましょう。「表書き」は、慶事の場合はムラのない濃い墨で、弔事の場合は薄墨で書くと、より気持ちが伝わる。
※表書きの例
「寿」・「御結婚御祝」・「御祝」
② 中袋の書き方
市販の祝儀袋に中包みがついている場合が多く、大変便利。もし、ついていない場合は半紙や奉書紙でお金を包むこと。
中袋の表面には金額を中央に漢数字で。(外袋に書く場合は裏面左下。)そして、裏面に住所を書く際には裏面左下に郵便番号も忘れずに記入すること。(住所、金額を中袋、外袋の裏面左下にどちらかずつ記入)
③ 包み方
包み方は、右側の紙をいちばん上に折り重ねる「右前」。裏側で上下(包みの用語ではそれぞれ天地と呼びます)が重なる時は下側(地)を上にして折り重ねる。これは開ける時に開けやすいように、また良いことは上向きに、包みから落ちたりしないようにという気持ちが込められているので、くれぐれも間違えないように。もちろん弔事の場合はこの逆。
④ 多彩な水引き-その種類と意味
水引き:贈答品の「のし紙」の上に蝶結びなどで結んである細い紐の束こと
色:
主に慶事には白赤や金銀を、弔事には白黒や銀一色を用いる。いずれも薄い色の方(白、銀)を向かって左に結ぶ。水引きにはその他にも黄や緑をはじめ様々な色に染められた色水引きがあるが、これらは主に細工用として用いられる。結婚式や披露宴などには包む金額に応じて紅白、金銀など使い分ける。
本数:
水引の本数は、慶事は奇数、弔事は偶数とされています。大体5本前後が多いようです。
形:
両輪結び(蝶結び) あわび結び 結びきり(慶事)
蝶結びは簡単に端がほどけるため、何度もあってよいお祝い事に。弔事には使用しない。 両輪結びよりも格式のある結び方で、結婚式や披露宴のお祝に。 ほどけにくい事から、二度目はないようにとの気持ちをこめて、婚礼と弔事に限って使われるこま結ぶ。婚礼(慶事)の場合は水引の両端を上向きに、弔事の場合は下向きに結ぶ。
④ 気になるご祝儀の中身
お祝い金としては祝う人との関係によって金額が大きく変わってくる。基本的に、割り切れない奇数の金額(1万、3万、5万等)と言われる。多くの関係では3万円が多いが、兄弟・姉妹、甥・姪は倍以上払うことも少なくない。
中に入れるお金は「新札」が望ましいので、早めに銀行などで交換しておきましょう。
ぞんざいな話し方をしてしまうと、それだけで会社のイメージダウンに繋がります。
きちんとした対応を心掛けましょう。
① 受け方
ベルが鳴ったら、③コール以内で出るようにしましょう。取り遅れたら、「お待たせしました」と詫びます。まずは「はい、○○会社○○課でございます」と名乗ること。「もしもし」という必要はありません。
相手が名乗ったら、「いつもお世話になっております」と言いましょう。相手の社名や名前がよく聞き取れなかった場合、もう一度、聞き返すこと。決してあいまいなままに終わらせてはいけません。
電話の内容はメモをとります。聞き間違いがないように、用件は復唱する習慣をつけましょう。電話は相手が切ってから、切ること。こちらから切るのは失礼にあたります。
② 取り次ぎ方
取り次ぐ相手が席を外している場合、出ることができない理由、外出しているのであれば、帰社時刻などを伝えます。
そして、相手の会社名や名前、電話番号を聞き、相手それともこちらから電話をするのかを確認します。内容はメモにとり、机の上に置いておきます。
③ かけ方
名乗った後、誰に取り次いで欲しいのかを伝えましょう。本人に代われば、もう一度、名乗って「いつもお世話になっております」と言います。相手が忙しいときかもしれません。話をする時間があるのかどうかを聞きます。用件は簡潔に。電話をかける前に、何を伝えたいのかを整理しておくと良いでしょう。もしも相手が不在の場合、相手それともこちらから電話をするのかを確認します。そのとき、電話を取った相手の名前を聞いておくこと。
④ 苦情の受け方
苦情電話は面倒に思わず、チャンスだと考えましょう。誠意のある受け答えをすることで、相手の心を掴むことができます。まずは謝り、相手が何を怒っているのかを聞くようにしましょう。話を遮ってはいけません。相手が悪いのではないかと疑うようなそぶりをは厳禁。
最後に苦情を言ってくれたことに対して「ありかどうございました」とお礼を言うようにしましょう。
Lesson2 お茶のマナー
お茶にはリラックス効果があります。
たった①杯のお茶のおかげで、その場の雰囲気ががらりと良くなり、仕事上でプラスに働くこともあるのです。
① 用意
人数分の茶碗と茶托、急須、お盆、ふきんを用意します。汚れや傷のあるものは厳禁です。ふきんはお茶をこばしたときの備えです。
② 入れ方
おいしく飲んでもらうために、前もって茶碗と急須を温め、きちんと人数分のお茶の葉を計っておくようにしましょう。茶さじ①杯で③人分が目安です。煎茶の適温は80度前後。ほうじ茶は沸騰したお湯を注ぎます。お茶の葉から味が出てくるまでには、20から30秒ぐらいかかります。お茶の量は7~8分目まで。
③ 入・退室
お盆は胸の辺りで持って運びます。部屋のドアをノックして、入室。その後、来客に挨拶をします。その後、サイドテーブル又は机の下手にお盆を置き、お茶を配ります。お茶を出すときは、「どうぞ」と言うように。退室するときはドアの辺りで頭を下げてから。
④ 順番
お茶を出すにも順番があります。まずは来客から。その後、社内の人間に。同じ来客でも、役職の上の人からお茶を出していきます。一緒にお茶菓子も出すのであれば、お茶菓子、お茶の順です。
⑤ 位置
もしも机に書類などが置いてある場合は、お茶を置くスペースをつくるために移動しても良いかどうかを尋ねるようにしましょう。断りもなく、触ってはいけません。置く位置は相手から見て左にお茶菓子、右にお茶が基本です。
Lesson3 立食パーティーのマナー
立食パーティーでは、飲食よりもいろんな人と親睦を深めることに重点をおきましょう。
① 取る順番
立食パーティーでは、各自で料理を取っていきます。そのとき、コース料理と同じように前菜、魚料理、肉料理、デザートの順に取っていくのがベストです。
② 取る分量
料理を取るときは皿の端から。取り散らかしてはいけません。食べられる分だけ取るようにしましょう(一度、取ったものは戻さないこと)。食べ切れずに残してしまうのは厳禁です。また、取る種類も多すぎないように。①皿につき③種類までと考えておきましょう。
③ 食べ方
食べるときは、料理を盛っているテーブルから離れたところで。また、誰かがスピーチしている最中は食べないように気をつけましょう。
④ 飲み方
近くにいる人のグラスが空になっているからと言って、お酌をする必要はありません。料理と同じく、飲み物も自分で注ぐのが基本です。また、緊垽筏皮い毪椁趣い盲啤ⅴⅴ毳畅`ルを飲み過ぎないように。
⑤ 下げ方
空になった皿やグラスはサービススタッフに渡すようにしましょう。もしも周りにいなければ、小テーブルの上に置いておくと良いでしょう。
6 交流
立食パーティーはいろんな人との交流をはかる場です。顔見知り同士で固まったり、①人で黙って食べていてはいけません。恥ずかしがらず、自分からどんどん話しかけていきましょう。
Lesson5 挨拶のマナー
挨拶は人間関係の基本です。疎かにしてはいけません。感じの良い挨拶を心掛けて、人間関係を円滑にしましょう。
① 出社したとき
出社したら、「おはようございます」と挨拶しましょう。明るく元気よく、①日のスタートを切るようにして下さい。
② 外出するとき
「○○○に行ってまいります」と行き先を告げてから、外出します。そのとき、ホワイトボードに行き先や帰社時刻を書き込むことを忘れないようにしましょう。
③ 帰社したとき
「ただいま戻りました」と帰ってきたことを知らせます。そして、外出先でのできごとを先輩や上司に伝えるようにします。
④ 先輩や上司が外出するとき
先輩や上司が出かけるときは、仕事中であったとしても手をとめて「いってらっしゃい」と言うようにしましょう。
⑤ 先輩や上司が帰社したとき
先輩や上司が帰ってきたら、「お帰りなさい」「お疲れさまでした」と挨拶します。留守中の電話やファックスは早めに伝えるようにしましょう。
6 退社するとき
お先に失礼します」と告げて、退社します。但し、残業している人がいれば「何かお手伝いしましょうか」と尋ねるようにして下さい。
7 その他
「ご苦労さまでした」は上司が部下に言う言葉です。自分よりも立場が上の人には使わないようにして下さい
Lesson6 自己紹介のマナー
自己紹介は緊張するものです。でも、ちょっとしたことに気をつければ、案外簡単なもの。肩の力を抜いて、好印象を持たれるようにして下さい。
① 最初
まずはおじぎをします。そのとき、背中を丸めないこと。背筋をピンと伸ばして、腰から頭を下げるようにして下さい。
② 名前
次に名前を名乗ります。但し、「山田です」と名字だけ言うのはいけません。必ず「山田花子です」とフルネームを言うようにして下さい。
もしも名前に難しい漢字が使われている又は②通りの読み方があるのであれば、きちんと説明するようにして下さい。
③ 出身地・趣味
名前を言った後は、「出身地は山形県です。趣味は音楽鑑賞です」と出身地や趣味などを話します。社内の人間があなたに話しかけやすくなるでしょう。但し、趣味については、マニアックなものは避けて下さい。当たり障りのないものにした方が良いでしょう。
④ 最後
締めくくりには「よろしくお願いいたします」と言い、おじぎをするようにしましょう。
⑤ その他
自己紹介をする時は、明るくはっきりとした声でするようにしましょう。ボソボソとした小さな声では、周りからマイナスの印象を抱かれかねません。また、話すときはダラダラとせず、簡潔に終わらせるようにして下さい。
Lesson7 お酒の席でのマナー
働いていると、新人歓迎会、新年会、忘年会、懇親会など、社員同士の交流を深めるためにさまざまな飲み会があります。
お酒に飲まれず、スマートな言動を心掛けましょう。
① タブー
人の身体的特徴をあげつらったような物真似などをしてはいけません。また、いくら無礼講だと言っても、上司や先輩に対して本音をぶちまけるのは避けて下さい。酔っていても、意外と覚えているものです。場合によっては、後々まで根に持たれることもあります。
② カラオケ
②次会の定番と言えば、カラオケです。部屋に入ったら、できるだけ新人から歌うようにしましょう。歌いづらいトップバッターを引き受けるのも良いことです。そのとき、上司や先輩の十八番は歌わないように気をつけます。また、マイクは独占せず、全員が歌えるようにしましょう(但し、歌うことを押しつけてはいけません)。人が歌っているときはきちんと聞くようにして下さい。他の人とのおしゃべりに夢中になるなど、もってのほかです。
③ 支払い
年が離れた上司と飲みに行ったときは、おごってもらっても良いでしょう。遠慮して割り勘を申し出ると、かえって失礼に当たる場合があります。同僚や先輩、年齢の近い上司との飲み会は割り勘にすること。その際、男女の性別は関係ありません。中には、後輩には絶対に財布を開かせないようにする先輩もいます。そういった場合、何かしら理由をつけて、③度に①度ぐらいはおごり返すようにしましょう。
④ 断り方
飲み会は人間関係を円滑にする上で大切な場です。社内の人間に飲みに誘われたら、できる限り、付き合うようにしましょう。どうしても断りたいときは、カドが立たないようにして下さい。身体の不調や先約などを理由にすると良いでしょう。そのとき、「申し訳ありませんが………」「残念ですが………」の一言を忘れずに。
Cyoki Night ~ Cooking ~ バーの達人
Vol.8 悪酔いしない飲み方 お酒の席でのマメ知識
(1) 世界で一番お酒に弱い日本人女性
(2) 悪酔い/早酔い回避のポイント
(3) 上手な飲み方・具体例
Lesson8 おじぎのマナー
相手に敬意を表すおじぎ。きちんとおじぎをすることで、良い印象を与えることができます。
おじぎには②種類あります。「立礼」と「座礼」です。
① 立礼
頭から腰までまっすぐに伸ばして、腰から折り曲げるようにします。猫背にならないように注意して下さい。また、相手よりも先に頭を上げると、失礼に当たります。ゆっくり上体を起こすなど、うまくタイミングを合わるようにしましょう。立礼には「会釈」「中礼」「最敬礼」の③種類があります。状況や相手に合わせて、使い分けるようにして下さい。
・会釈
同僚や親しい人とすれ違ったときなどに行います。上体を傾ける角度は15度程。視線は自分自身の足元から1.5メートル程のところへ向けましょう。
・中礼
自分よりも立場が上の人に対して行う挨拶です。上体を傾ける角度は30度程。視線は自分自身の足元から50~60センチ程のところへ向けます。
・最敬礼
最も丁寧な挨拶です。十分に感謝やお詫びの気持ちを伝えたいときに使いましょう。上体を傾ける角度は45~60度程。向ける視線は自分自身の足元です。
② 座礼
料亭などでは、座礼が正式な挨拶となります。まずは座布団の右側に座ります。座布団の上で挨拶をしてはいけません。その後、膝の前に指をつき(女性の場合、左右の人さし指をくっつけます。男性の場合、左右の間隔をこぶし分あけます)、上体を30度程傾けます。座布団に座るのは挨拶が終わってからです。
Lesson9 コピー&ファックスのマナー
たかがコピー、ファックスとあなどってはいけません。オフィスで使うことが多いこれらの機器。十分に使い切るようにしましょう。
コピー
① 設定
コピーする前に「サイズ、向き、部数」に間違いがないか、確認します。もしも文書が汚れていれば、修正するようにしましょう。
② 整理
コピーしたものはクリップなどでとめるようにしましょう。見やすくなるので、相手に喜ばれます。縦書きは右端、横書きは左端をとめます。
③ 注意
使い終わったら、必ずリセットすること。また、コピー中に紙づまりが起きたら、そのままにせず、きちんと直すようにしましょう(ほとんどのコピー機には、どのようにして対処したら良いか、説明がついています)。これらは次に使う人への気配りです。
ファックス
① 送信
送信状をつけるようにして下さい。送信状には「送信日、宛先、発信元、表紙を含めて○枚」と記入します。加えて、簡単な挨拶、文書の内容も書いておきましょう。送るときは文書がよじれないように気をつけること。ファックス番号と電話番号を間違えないように。送った後はちゃんと届いたかどうか、確認の電話を入れるようにします。
② 注意
重要な文書はファックスしてはいけません。また、文書の枚数が多い場合、送信するのは避けて下さい。ファックスと電話が兼用の場合、相手に迷惑をかけることになります
Lesson10 訪問のマナー
ビジネス相手の会社を訪問するときは、きちんとした手順を踏むようにして下さい。親しい相手であっても同様です。また、実際、会ったときには忙しい時間を割いてくれたことへのお礼を言うようにしましょう。
① アポイントメント
①週間前までに訪問相手の了承を得ておきましょう。アポ取りでは、訪問の目的、希望の日、所要時間、名前、人数などを伝えます。日時を決めるときは、始終業時、ランチタイム、休日、週明けの初日、月末期末などの訪問は避けて下さい。また、先方の都合を優先させるようにします。訪問相手の地位が高ければ、秘書又は部下を通すこと。その場合、取り次いでくれた人の名前を聞き、メモするようにしましょう。
予定を変更したいときは、相手に迷惑がかからないように、早めに連絡して下さい。訪問の前日又は当日の朝には、確認の電話を入れます。
② 訪問
10分前までには着くようにして下さい。遅刻しそうであれば、約束の時間よりも前に電話連絡するように。過ぎてからだと意味がありません。また、弁解はせずに、ひたすら謝るようにしましょう。
受付についたら、会社名、名前を名乗り、次に訪問相手の部署、名前、約束の時間を伝えます。
応接室で相手を待つときは下座に座るようにして下さい。ドアに近い場所が下座になります。相手に上座を勧められた場合は、席を移ってもかまいません。
③ 注意
挨拶は明るく、用件は簡潔に。そして、礼儀正しくふるまいましょう。脚を組んで話をするのは良くありません
Lesson11 退職のマナー
立つ鳥、跡を濁さず。お世話になった会社に迷惑をかけることなく、スムーズに引き継ぎをすませ、退職するようにしましょう。
① 時期
退職することに決まったら、直属の上司に伝えるようにしましょう。法律では最低②週間前に退職を伝えれば、問題ありません。しかし、会社にも都合があります。最低でも①カ月前に伝えた方が良いでしょう。
② 退職願
便せんは白無地、筆記用具は黒又は紺の万年筆を使いましょう。
③ 引き継ぎ
余裕を持って、後任者に仕事を引き継ぐようにして下さい。仕事の進行状況、段取りなど、できるだけ詳しく伝えます。
また、取引き先へ挨拶まわりし、後任者を紹介しておきましょう。挨拶できなかった取引き先に対しては、手紙を送っておくようにしましょう。
④ 返却&受け取り
会社に返却するものは、健康保険証、社員証、社員バッジ、名刺、制服、事務用品です。会社の経費で購入したものは、たとえポールペン①本でも持ち帰ってはいけません。
逆に受け取るものは、雇用保険被保険者証、源泉徴収票、年金手帳、離職票です。離職票の発行には、退職してから10日前後かかります。これは雇用保険の失業給付に必要なものです。転職先が決まっていない人は、総務部に郵送してもらって下さい。
Lesson12 手紙のマナー
手紙には人間関係を円滑にする働きがあります。マナーを踏まえた上で、分かりやすく読みやすい手紙を書くようにしましょう。
① 形式
・ 女性の場合、「一筆申し上げます」「慎んで申し上げます」などの頭語を書きます。
・ 「早春の侯(③月)」「残暑の侯(9月)」「年末ご多忙の折から(12月)」など、時候の挨拶をします。
・ 相手の安否を聞いた後、自分自身の近況を書きます。
・ 「さて」という言葉の後に本題を書き出します。
・ 「まずは書中をもってお知らせ申し上げます」と結びます。
・ 女性の場合、「かしこ」などの結語でしめくくります。
・ 日付、署名、住所などを書きます。
② 封筒
・ 改まった手紙の場合、封筒は縦書きにしましょう。住所は②行以内で、名前は封筒の中心に書きます。個人名のときは「様」、会社名や部署名のときは「御中」、役職名のときは「殿」、多数のときは「各位」と書きます。また、本人以外に見られたくないときは「親展」、請求書を送るときは「請求書在中」と朱書きします。
・ 裏面の左側には自分の住所、名前、日付を書きます。
・ セロハンテープやホッチキスではなく、糊を使って封をしましょう。最後に封筒の合わせ目に「〆」又は「封」と書きます。
③ その他
ポストに投函する前に、必ず誤字脱字がないかチェックします。もしも間違いが見つかった場合、修正液を使わず、書き直すようにしましょう。
Lesson13 タバコのマナー
吸う人は吸わない人の気持ちがわからず、吸わない人は吸う人の気持ちが分からないもの。吸う人は吸わない人へ配慮して、場所と健康を考えて吸うようにしましょう。
① 訪問中は、勝手に煙草を吸わない
・ 原則として、取引先を訪問した時などは、すべて相手の意向に従ってから行動。 (会社によっては喫煙を全面的に禁止しているところもあるため)
・ 相手側の社内においても、相手社内の規定を尊重することがビジネス社会のルールなので、喫煙に関しても同様に相手側のルールに従う。
② 面談中は、勧められるまで喫煙しない
・ 相手から勧められないうちに吸い始めるのは避ける。(タバコを吸う人にとっては、タバコは考えをまとめるのに効果があるようだが、吸わない人にとっては集中力を欠かせてしまうものでもあるため)
・ タバコを吸わない人との長時間の面談で「我慢できずどうしても吸いたい」という人は、相手に一言断り、許可を得てから吸うようにすることで、相手とも気持ちよく会話を続けられる。
③ テーブルに灰皿がない場合は、原則として喫煙を遠慮する
テーブルに灰皿のない場合、相手先が「禁煙」という意思表示をしているとも考えられる。その場所が「禁煙」かどうか尋ねてみることもできるが、相手に灰皿を取ってきてもらうなどの余計な手間を取らせてしまうため、喫煙を我慢することも必要。
④ 禁煙フロアで、来客に「タバコを吸ってもいいですか?」と言われたら?
『申し訳ありません。当社は禁煙です。タバコはご遠慮いただけますか?』
というように、
・最初に自社の都合を詫びること
・お願いするという形で終わること
をポイントとする事がよいでしょう。日本人は特に、「当社は禁煙です。タバコはご遠慮ください。」というように言い切ってしまうと不愉快に感じてしまう人も多いようです。なので、言い方としてはお願いするという形がよいでしょう。
Lesson14 ご祝儀のマナー
最近では、祝儀袋は100円ショップのものからたくさんの装飾が施された豪華なものまで、さまざまなタイプのものがあります。でも、結局のところは、中に入れる金額にあわせた祝儀袋を選びましょう。
① ご祝儀袋の表書きについて
ご祝儀袋には掛け紙をせず直接袋に書く。「表書き」は中央の水引きを境に上段中央に「御祝」などの文字、下段中央、あるいは左側に贈り手の姓名を墨書きする。毛筆に不慣れな方でも、ボールペンや万年筆を使っては失礼にあたるため、丁寧に気持ちをこめて書くこと。ただし最近では,筆ペン、サインペンなら使うこともよしとされているようです。姓名はフルネームを楷書で書くようにしましょう。「表書き」は、慶事の場合はムラのない濃い墨で、弔事の場合は薄墨で書くと、より気持ちが伝わる。
※表書きの例
「寿」・「御結婚御祝」・「御祝」
② 中袋の書き方
市販の祝儀袋に中包みがついている場合が多く、大変便利。もし、ついていない場合は半紙や奉書紙でお金を包むこと。
中袋の表面には金額を中央に漢数字で。(外袋に書く場合は裏面左下。)そして、裏面に住所を書く際には裏面左下に郵便番号も忘れずに記入すること。(住所、金額を中袋、外袋の裏面左下にどちらかずつ記入)
③ 包み方
包み方は、右側の紙をいちばん上に折り重ねる「右前」。裏側で上下(包みの用語ではそれぞれ天地と呼びます)が重なる時は下側(地)を上にして折り重ねる。これは開ける時に開けやすいように、また良いことは上向きに、包みから落ちたりしないようにという気持ちが込められているので、くれぐれも間違えないように。もちろん弔事の場合はこの逆。
④ 多彩な水引き-その種類と意味
水引き:贈答品の「のし紙」の上に蝶結びなどで結んである細い紐の束こと
色:
主に慶事には白赤や金銀を、弔事には白黒や銀一色を用いる。いずれも薄い色の方(白、銀)を向かって左に結ぶ。水引きにはその他にも黄や緑をはじめ様々な色に染められた色水引きがあるが、これらは主に細工用として用いられる。結婚式や披露宴などには包む金額に応じて紅白、金銀など使い分ける。
本数:
水引の本数は、慶事は奇数、弔事は偶数とされています。大体5本前後が多いようです。
形:
両輪結び(蝶結び) あわび結び 結びきり(慶事)
蝶結びは簡単に端がほどけるため、何度もあってよいお祝い事に。弔事には使用しない。 両輪結びよりも格式のある結び方で、結婚式や披露宴のお祝に。 ほどけにくい事から、二度目はないようにとの気持ちをこめて、婚礼と弔事に限って使われるこま結ぶ。婚礼(慶事)の場合は水引の両端を上向きに、弔事の場合は下向きに結ぶ。
④ 気になるご祝儀の中身
お祝い金としては祝う人との関係によって金額が大きく変わってくる。基本的に、割り切れない奇数の金額(1万、3万、5万等)と言われる。多くの関係では3万円が多いが、兄弟・姉妹、甥・姪は倍以上払うことも少なくない。
中に入れるお金は「新札」が望ましいので、早めに銀行などで交換しておきましょう。
2004年2月1日星期日
あいさつとは
日本中の学校で、「オアシス」運動が行われている。「オ」は「おはよう」、「ア」は「ありがとう、「シ」は「しつれいします」、「ス」は「すみません」とするのが一般的で、何かとぎすぎすしがちな人間関係を、あいさつによって砂漠の中のオアシスのように潤そうということに狙いがある。実際、言葉のまったく分からない外国に行って、心ならずも人にぶつかったとき、相手が何か一言いったとしても、「気をつけろ」と言ったのか、「すみません」と言ったのか、言葉では分からない。落ち着いていれば表情や語調で見当はつくのだろうが、こういうときには動転しやすいので、逆の意味にとりかねない。確かにあいさつは大事であり、よく言われるように、人間関係の潤滑油ともなる。
「あいさつ」は漢字では、「挨拶」と書く。「挨」も「拶」も常用漢字には含まれていないので、普通かなで書かれるが、あまりにも日常的な言葉なので、漢字で書けなくても読める人は多い。しかし、「挨拶」という漢語を構成する「挨」も「拶」も、「押す」とか、「(むりやり)進む」という意味なので、「挨拶」という言葉の意味も、もとは今とは正反対のものだった。「士庶挨拶す」というと、人々が身分の隔てなく押し合いへし合いすることだった。パレードを見ようと争う群集を考えればよく、とても今のような譲り合いの精神を示す言葉とは言えなかった。その意味の変化は、禅僧の間でこの言葉が、仏教の教理をめぐって押し問答する意味に使われたことから始まった。そこから単に「言葉を交わす」という意味に変化し、今日の意味となった。江戸時代には、さらに「言葉を親しく交わす仲」という意味にも転じ、「あいさつ切る」といえば絶交のことであった。
現代日本語のあいさつ言葉には、関西起源と思われるものが多い。明治以降、江戸は東京と名を改め、全国から人が集まるようになったが、やはり圧倒的に関東近県からの移住者が多かった。その中で、関東以外で最も多かったのは京都からの移住者であり、皇室の東遷と関係があるようである。いわゆる標準語は、「教養のある山の手の江戸の人の言葉」をもとにして作られたのだが、標準語に取り入れられた「美しゅうございます」のような表現は、本来なら「美しく」のように「く」で終わるべき形容詞の連用形が「う」に変わる(「ウ音便」)のだから、明らかに西日本起源である。「おはよう」「おめでとう」「ありがとう」もこれと同様である。いずれも、本来は下に「ございます」をつける。「めでたい」が「たたえたい」、「ありがたい」が「めったにない」から来ていることはすぐ分かるが、人におごられたとき「ありがとう」というのには、「お前のようなけちがそんなことするなんて」というひねくれた解釈も可能である。
日本語のあいさつ言葉には、最後まで言い切らないものが多い。その典型が「さようなら」であり、本来は「そうであるならば」という接続詞であった。古語の「さらば」にせよ、親しい仲でいう「じゃあ」にせよ、同じことである。これは、はっきり別れを持ち出すのを遠慮したともとれ、自分自身がその悲しみに耐えきれないことを示すともとれる。英語のgood-byeのgoodは"Good morning."などのような「良い」という意味ではなくGodの意味であり、「神があなたのそばにみそなわすように」ということだという。フランス語の「アデュー」やスペイン語の「アディオス」も「神へ」ということである。"See you again." (英語)、"Aurevoir."(フランス語)、 "Auf wiedersehen."(ドイツ語)、「再見(ツァイチェン)」(中国語)はいずれもはっきり再会を望む表現である。面白いのはトルコ語の"Güre güre."で、これは「笑って、笑って」ということらしい。「こんにちは」「こんばんは」も、そのあとに続くべき「御機嫌いかがですか」の部分が省略されており、Bonjour(ボンジュール)や好(ニーハオ)のように、相手がうまくいくことを直截にのぞむ表現とは異なっている。
英語圏では、日本人が"Thank you."というべき場面でよく"I'm sorry."と言うのが不思議がられるらしいが、これは「すみません」の直訳であり、他人に負担をかけることを申し訳なく思う日本人の心性に由来しているとよく言われる。「ごちそうさま」というのは「馳走」、つまり客をもてなすために走り回ることであり、したがって風呂に入れてもらったときにも使える。どうも日本語のあいさつことばは、最後まで言い切らなかったり、遠まわしに表現したりして、余韻を残そうとする傾向が強い。ただ、日本語でも、いつでも「ありがとう=すみません」というわけではない。人にほめてもらったときは、どう考えても相手に負担をかけたわけではないので、率直に「ありがとう」と言い、決して「すみません」とは言わない。
よく言葉の機能は「伝達」にあると言われる。しかし、あいさつことばは伝達という観点から見ると、まるで無駄な言葉である。「おはよう」なんてお互いに分かっていることではないだろうか? そのため、あいさつ言葉をできるだけ少なくする言語も多い。西ニューギニアのモニ族は「ありがとう」も「こんにちは」も「お気の毒です」も全部「アマカネ」の一語で済ませるという。強いていうなら、日本語の「どうも」に近いのかも知れない。
西アフリカのマリのバンバラ族は、「あなたのお父さんはいかがですか」「元気です。ありがとう」といった会話を、お母さん、奥さん、息子さん、娘さんについても毎朝繰り返し、韻を踏んだ詩をかけあいで読んでいるように聞えるという。日常顔を合わせ、それが彼らにとっては全世界というべき小さな集落で毎朝繰り返しているのである。と、すれば、あいさつことばの機能は、情報伝達ということよりも、やはり人間関係の潤滑油ということにあるようだ。
身近な人間ほど大事にしなければならないのだとすれば、バンバラ族の悠長な風習も納得できる。あいさつは、人間関係がうまく行っているからするのではなく、うまく行っていなければなおさらすべきなのである。挨拶をしない若者にはそのように説得したほうが早いかも知れない。挨拶したからといって、自分が相手の下に立つわけではないと納得したとき、挨拶をしなかった若者も進んで挨拶するようになるにちがいない。
「あいさつ」は漢字では、「挨拶」と書く。「挨」も「拶」も常用漢字には含まれていないので、普通かなで書かれるが、あまりにも日常的な言葉なので、漢字で書けなくても読める人は多い。しかし、「挨拶」という漢語を構成する「挨」も「拶」も、「押す」とか、「(むりやり)進む」という意味なので、「挨拶」という言葉の意味も、もとは今とは正反対のものだった。「士庶挨拶す」というと、人々が身分の隔てなく押し合いへし合いすることだった。パレードを見ようと争う群集を考えればよく、とても今のような譲り合いの精神を示す言葉とは言えなかった。その意味の変化は、禅僧の間でこの言葉が、仏教の教理をめぐって押し問答する意味に使われたことから始まった。そこから単に「言葉を交わす」という意味に変化し、今日の意味となった。江戸時代には、さらに「言葉を親しく交わす仲」という意味にも転じ、「あいさつ切る」といえば絶交のことであった。
現代日本語のあいさつ言葉には、関西起源と思われるものが多い。明治以降、江戸は東京と名を改め、全国から人が集まるようになったが、やはり圧倒的に関東近県からの移住者が多かった。その中で、関東以外で最も多かったのは京都からの移住者であり、皇室の東遷と関係があるようである。いわゆる標準語は、「教養のある山の手の江戸の人の言葉」をもとにして作られたのだが、標準語に取り入れられた「美しゅうございます」のような表現は、本来なら「美しく」のように「く」で終わるべき形容詞の連用形が「う」に変わる(「ウ音便」)のだから、明らかに西日本起源である。「おはよう」「おめでとう」「ありがとう」もこれと同様である。いずれも、本来は下に「ございます」をつける。「めでたい」が「たたえたい」、「ありがたい」が「めったにない」から来ていることはすぐ分かるが、人におごられたとき「ありがとう」というのには、「お前のようなけちがそんなことするなんて」というひねくれた解釈も可能である。
日本語のあいさつ言葉には、最後まで言い切らないものが多い。その典型が「さようなら」であり、本来は「そうであるならば」という接続詞であった。古語の「さらば」にせよ、親しい仲でいう「じゃあ」にせよ、同じことである。これは、はっきり別れを持ち出すのを遠慮したともとれ、自分自身がその悲しみに耐えきれないことを示すともとれる。英語のgood-byeのgoodは"Good morning."などのような「良い」という意味ではなくGodの意味であり、「神があなたのそばにみそなわすように」ということだという。フランス語の「アデュー」やスペイン語の「アディオス」も「神へ」ということである。"See you again." (英語)、"Aurevoir."(フランス語)、 "Auf wiedersehen."(ドイツ語)、「再見(ツァイチェン)」(中国語)はいずれもはっきり再会を望む表現である。面白いのはトルコ語の"Güre güre."で、これは「笑って、笑って」ということらしい。「こんにちは」「こんばんは」も、そのあとに続くべき「御機嫌いかがですか」の部分が省略されており、Bonjour(ボンジュール)や好(ニーハオ)のように、相手がうまくいくことを直截にのぞむ表現とは異なっている。
英語圏では、日本人が"Thank you."というべき場面でよく"I'm sorry."と言うのが不思議がられるらしいが、これは「すみません」の直訳であり、他人に負担をかけることを申し訳なく思う日本人の心性に由来しているとよく言われる。「ごちそうさま」というのは「馳走」、つまり客をもてなすために走り回ることであり、したがって風呂に入れてもらったときにも使える。どうも日本語のあいさつことばは、最後まで言い切らなかったり、遠まわしに表現したりして、余韻を残そうとする傾向が強い。ただ、日本語でも、いつでも「ありがとう=すみません」というわけではない。人にほめてもらったときは、どう考えても相手に負担をかけたわけではないので、率直に「ありがとう」と言い、決して「すみません」とは言わない。
よく言葉の機能は「伝達」にあると言われる。しかし、あいさつことばは伝達という観点から見ると、まるで無駄な言葉である。「おはよう」なんてお互いに分かっていることではないだろうか? そのため、あいさつ言葉をできるだけ少なくする言語も多い。西ニューギニアのモニ族は「ありがとう」も「こんにちは」も「お気の毒です」も全部「アマカネ」の一語で済ませるという。強いていうなら、日本語の「どうも」に近いのかも知れない。
西アフリカのマリのバンバラ族は、「あなたのお父さんはいかがですか」「元気です。ありがとう」といった会話を、お母さん、奥さん、息子さん、娘さんについても毎朝繰り返し、韻を踏んだ詩をかけあいで読んでいるように聞えるという。日常顔を合わせ、それが彼らにとっては全世界というべき小さな集落で毎朝繰り返しているのである。と、すれば、あいさつことばの機能は、情報伝達ということよりも、やはり人間関係の潤滑油ということにあるようだ。
身近な人間ほど大事にしなければならないのだとすれば、バンバラ族の悠長な風習も納得できる。あいさつは、人間関係がうまく行っているからするのではなく、うまく行っていなければなおさらすべきなのである。挨拶をしない若者にはそのように説得したほうが早いかも知れない。挨拶したからといって、自分が相手の下に立つわけではないと納得したとき、挨拶をしなかった若者も進んで挨拶するようになるにちがいない。
中国と日本の風俗習慣の違い
日本人と中国人は顔も似ているし、漢字も共用しているし、食生活もだいたい同じですから、風俗習慣や文化もそれ程違わないと思っているが、実はそうではなかったです.特に表に現れない意識え方などは日本と中国の間にはかなりの違いがあります.相違点をことによって、誤解が解け、理解が生まれ、認めあい、尊敬しあう前提になると思います.
奇数と偶数、白と赤 日本人は親類や友人を訪れる時や、人に何か頼み事をする時によく贈り物をします.この点は中国もだいたい同じですが、日本人はお世話になった後に、依頼ごとの結果によって贈り物をするのが一般的なのに対して、中国人は普通事前に贈る、人に頼み事をする以上、まず気持ちを表さなければならないと考えるからです.
また、日本人は普段お世話になった人に感謝の気持ちを表すために、『お中元』や『お歳暮』の贈り物をします.中国人は日本人のうに習慣的に『お中元』、『お歳暮』の時期に贈り物をするのではなくて、たいてい親類や友達を訪ねる時とか、誕生日などのお祝いや、人に何か頼み事をする時に贈り物をします.
贈り物に関する数字は、日本人は奇数を好み、ご祝儀も1万円、3万円、5万円を出すことが多いし、贈り物をする場合も奇数が多いです.中国人は逆に偶数を好み、贈り物をする場合ほとんど偶数です.特に結婚のお祝いは必ず偶数で『対になって、共に白髪になまで いとげる』の意味なので、これが奇数なら何となく不吉に思われます.
日本では新築祝いや結婚祝いなどに置き時計を贈るのは平気です.中国人は置き時計を贈られるのがあまり好きじゃないです.特に年寄りは嫌がります.『置き時計を贈る』というのは中国語では『送鐘』です.そして『送鐘』は『臨終を看取る』の『送終』とまったく同じ発音です、中国人の習慣からすれば、それは不吉な物となります.とにかく縁起の悪い文字と同じ音の物は嫌われます.これは日本人が『四』という数を嫌うのと同じです.
数字に対して、日本人は『四』と『九』を好まないですが、中国人は『十三』という数があまり好きじゃないです.時計に『十三』という数はないため、真ん中の十二時よりも行き過ぎている、傾いていることから『十三』又は『十三点』と言って、『ばか』、『気違い』の意味でののしる言葉にも使われるからです.
色のもつ意味も中国と日本ではちょっと違います.中国では赤はめでたいこと、結婚、誕生などの行事やお祝いに欠かせない色です.昔のお嫁さんは真っ赤な洋服を着ることが多かったが、今でも純白のウエディング・ドレスを着ても、赤い花やピンなど、必ず身体のどこかにつけています.お年玉の袋も真っ赤で、年賀カ・ドも赤色が多いです.逆に、白は不幸を表します.お葬式の時に白い花をつけます.
以上、奇数と偶数について、中国と日本の風俗習慣の違いところです.
奇数と偶数、白と赤 日本人は親類や友人を訪れる時や、人に何か頼み事をする時によく贈り物をします.この点は中国もだいたい同じですが、日本人はお世話になった後に、依頼ごとの結果によって贈り物をするのが一般的なのに対して、中国人は普通事前に贈る、人に頼み事をする以上、まず気持ちを表さなければならないと考えるからです.
また、日本人は普段お世話になった人に感謝の気持ちを表すために、『お中元』や『お歳暮』の贈り物をします.中国人は日本人のうに習慣的に『お中元』、『お歳暮』の時期に贈り物をするのではなくて、たいてい親類や友達を訪ねる時とか、誕生日などのお祝いや、人に何か頼み事をする時に贈り物をします.
贈り物に関する数字は、日本人は奇数を好み、ご祝儀も1万円、3万円、5万円を出すことが多いし、贈り物をする場合も奇数が多いです.中国人は逆に偶数を好み、贈り物をする場合ほとんど偶数です.特に結婚のお祝いは必ず偶数で『対になって、共に白髪になまで いとげる』の意味なので、これが奇数なら何となく不吉に思われます.
日本では新築祝いや結婚祝いなどに置き時計を贈るのは平気です.中国人は置き時計を贈られるのがあまり好きじゃないです.特に年寄りは嫌がります.『置き時計を贈る』というのは中国語では『送鐘』です.そして『送鐘』は『臨終を看取る』の『送終』とまったく同じ発音です、中国人の習慣からすれば、それは不吉な物となります.とにかく縁起の悪い文字と同じ音の物は嫌われます.これは日本人が『四』という数を嫌うのと同じです.
数字に対して、日本人は『四』と『九』を好まないですが、中国人は『十三』という数があまり好きじゃないです.時計に『十三』という数はないため、真ん中の十二時よりも行き過ぎている、傾いていることから『十三』又は『十三点』と言って、『ばか』、『気違い』の意味でののしる言葉にも使われるからです.
色のもつ意味も中国と日本ではちょっと違います.中国では赤はめでたいこと、結婚、誕生などの行事やお祝いに欠かせない色です.昔のお嫁さんは真っ赤な洋服を着ることが多かったが、今でも純白のウエディング・ドレスを着ても、赤い花やピンなど、必ず身体のどこかにつけています.お年玉の袋も真っ赤で、年賀カ・ドも赤色が多いです.逆に、白は不幸を表します.お葬式の時に白い花をつけます.
以上、奇数と偶数について、中国と日本の風俗習慣の違いところです.
雑草の恋物語
本気で愛した事ありますか?その愛の気持ちを続いていますか?又は、愛した事を後悔していますか?いずれにしても、あなたはきっと愛の喜びと悲しみを味わった事あると思います。
日本に来て二年目のことでした。お金なく、貧しい生活を毎日送った私、必死にバイトしていました。もちろん、勉強もがんばっていました。そんな環境の中で私には恋心を生まれるなんて思ってもいなかった。
ある日、バイト先の中華料理屋に新しいバイトさんが入った、かわいい女の子でした。○○大学の一年生で、19歳とか簡単の自己紹介から知っていました。記憶力あまりよくなかった私は彼女の名前も覚えていた、----長谷川 麻美。
その時、店にスタッフとして一緒に働いた人は奥さん以外、村上お婆さんと夏候君でした。村上さんはもう還暦の年齢ですが、いつも元気よく、やさしいおばあさんでした。夏候君は私と同じ、中国からの留学生で、まだ日本語学校にいました。(今は大学生でしょう)。奥さんも冗談好きの人で、とても明るい職場でした。
先輩である私は飲食業に長く働き経験があり、一番仕事できる人だったと思っていました。仕事以外も社長とかほかの人と仲良くできました。仕事はどんな忙しくても、私はいるから大丈夫ってみんなから言ってくれました。まるで自分はその店の主役でした。その中で、私の働き姿に惹かれてしまった人がいました。
いつもの通り、仕事を終え、皆帰ってあと、私もレジを閉め、今日の売上金を社長に渡してから、社長と同じ趣味のパソコンの話をしていました。思ってもいなかった一通のメールが届いていました。
「今日もお疲れ様でした。そんな忙しい中、ミスだらけの私に気をつけたこと本当にありがとうございます。ところで、海悠さんは私のことって子供しか思えないですか?」長谷川さんのメールでした。確かに、その日は忙しかった。料理を何度も間違った彼女に「大丈夫、ゆっくりでいいから」、「子供だから、許してあげる」など、声をかけました。その時どんなメールを返していたかもう覚えていませんが、それから、メールを毎日のように二人で送っていました。その中、こんなメールがありました。
「ゴウさんはみんなに優しいですけど、でも私みたいな子供に傷つくかもしれないよ。」
初めて二人きりになったときのことは今もはっきり覚えています。残業で二人だけ残っていました。毎日バイトと勉強しかわからなかった私は恋なんかもう忘れていたと思いました。少なくとも、彼女のその微笑を感じる前まではそう思いました。「海悠さんいつもすごくがんばっていますね。」仕事が終わりごろ、彼女はそういいました。「まあ、がんばらなきゃ、、、」頭を上がった瞬間に彼女と目が合いました。その目に埃なし、清水のように私の心の底まで清めていました。その無邪気の顔に一目惚れでした。その日、そのとき、その一瞬で、封印していた私の心が動いていました。
「海悠さん、私の顔汚れている?」
「いやいや、」私は笑いながら、「おかなすいたでしょう?一緒にご飯に行かない?」女の子大苦手の私は思わず彼女を誘いました。貧乏の私はしばらく食べたかった焼肉屋に行きました。
「お酒はだめよ、まだ二十歳になっていないから」
いつも優しいお兄さんのような私はそういいました。
でも「私、もう子供じゃないから」って言い返しました。そして、彼女はカクテルを注文しました。今思い出しても、その夜のご飯はおいしかったと思います。ご飯を食べ終わっても彼女ともうちょっと一緒にいたいですが、次の日にハードな勉強とバイトが待っていますから、しょうがなくわかれました。
多分その一瞬で惚れた私は最初から悲しみを味わうことを決まっていたかもしれなかった。そのときの私は恋する資格はなかったと思います。でも、初めてのデートはその後すぐでした。一緒にしゃべりながら、ケーキをたべて、映画も見ました。ここまでよかったのに、遊び放題センターに行こうって、私は言い出しました。でも、ちょっと遠いので、私は友達を呼び出して、バイクで彼女を送ってもらいました。情けない私はタクシー代を節約するためでした。その後も私の友達と三人で遊びました。今考えると、それは私の失敗の始まりでした。
同じ職場にバイトをしている私たちは、いつもの通り仕事をしていました。バイトをやめるまで、誰も私たちの展開が知らなかった。当時、自分から動いた恋はまだなかった私は大ばかだったって、今は思います。彼女とずっと一緒にいたい気持ちだが、毎日忙しくて、メールをする時間も惜しかった。そして日本語も難しかった。恋って言うものはがんばってもいい結果でないことが多いと思います。彼女とたびたび会いますし、仕事も一緒にいるのに、自分はどんなことしたらよいかわかりませんでした。店の厨房に働いているの慰さんって言う男がいました。いつから彼女と彼の話は多くなっていたかも気ついていなかった。ある時、「彼女は私の新しい恋人だよ」って、慰さんが冗談で言いました。「お前、彼女に…」、私は怒りそうでした。でも話は途中で止まりました。私はお前、彼女に手を出すなって言いたかった、でも彼女は私の彼女ではありません、私と彼女の関係は慰さんにもわかりません、怒りを抑えていた私は無言でその場を去っていました。自分は弱気になってしまいました。その弱い私はいまだに憎んでいます。もしそのときに戻ることできたら、私の人生も変わるでしょう。
それは慰さんのただの冗談だと思い、やはりバイトと勉強に励んでいました。学校で日本語一級合格し、いくつの資格も取りました。学校の優等生であった。でも、恋はまったく進んでいませんでした。しかも、自分の中では彼女のこともっと好きになっていました。彼女の微笑を見るだけで疲れを忘れます。週末が再び来ました。彼女と寸劇を見ることになりました。バイトが忙しくて延長になってしまった、待ち合わせ場所に行った時もう三十分も遅れていました。劇場のスタッフに聞くと、寸劇もう始まっています。彼女もう入っていました。スタッフに案内され、彼女の隣に座りました。目で謝って、自分は苦笑いしました。バイトで疲れた私は寸劇に興味がなかった上に、眠ってしまいました。それより、涎も流れっていました。その時点から私は彼女の彼氏になる資格はなくなったと思いました、、…日の帰りに、彼女は何かいいたがっていた気がしました。
クリスマスやってきました。ワークマシンの私も彼女にプレゼントをしたいと思いました。彼女はChristmas tree がほしいって言った記憶があったから、クリスマスの一ヶ月前に黙ってChristmas tree を送っていました。いつものとおり、バイトが終わったのはもう夜十時半でした。例のラーメン屋においしいラーメンを食べていました。食べているところに彼女からメールがありました。
「海悠さん、すみません、そのChristmas tree を受け取ることができません、だって私はゴウさんの彼女じゃないから。」
その夜、おいしいラーメンが半分も残りました。
まだあきらめていない私は改めて彼女の家に行って、告白することにしました。とても見苦しい告白でした。知りたくなかったこともひとつありました。それは彼女が慰さんの事好きになったかもしれないって言うことでした。そのときの私はもう思い出したくないんだ。ただ、自分の日記に、2005年11月14日、災厄の日って書きました。
彼女に出会ってからいろいろを思い出し、恋の経験が浅かった自分のこと許せなかった、ワークマシンみたいな自分のことも許せなかった。そしてすべてのバイトをやめました。学校で奨学金をもらっている私は単位もう十分卒業できます。暇になった私の唯一の友達はお酒でした。自分の部屋はまもなく、空瓶、から缶の世界になりました。人生初めての恋心はお酒と一緒に飲み込んで、トイレに流れました。そんな日々の間も彼女と何回あったこともありました。なぜ会うか、何のためあうか、どんなことを話したか、まったくわかりませんでした。中華料理屋の忘年会の後も彼女と朝まで一緒にいました。お酒を水のように飲んでいました。最後まで彼女と抱き合うことなかったって言うか、彼女を抱きしめる勇気がなかった。
お酒のおいしさを味わう日々を続いていました。もし、その友達来ないと、今の私は日本にいないでしょう。自分はどうなっているかもわからないでしょう。お正月の夜、ずっと電話に出ない私のことを心配で、親友はバイクで私のところに来ました。一緒に飲みたいって思っていたそうです。でもその腐った私の部屋の光景を見たら、親友は私を連れ出した。バイクの後ろに乗っていた私も飲み続けました。一月の寒い風にも感じませんでした。終点はひとつの知らない山の山頂でした。その都市を一覧できるところで、きれいな夜景でした。そこで、その知り合った10年の親友が僕と一緒に一ケースのビールを飲んでいました。
「お前、ここから見ろ、ここは日本だ、お前の家族は海の向こうにいる。お前の友達も、家族も向こうでおまえをまっているんだ。日本に来た時の事がまだ覚えているか?そのときの俺たちは、お金がなく、学費さえなかったんだ。毎日カップ面をばっかり食っていた。そんな苦労した日もあったんだ。なのに、今のお前見て見ろ、その元気の姿はどこにいた?ただひとつの恋の失敗で、こんなに落ち込むのか?このまま続くと、お前はこの島国に死んでもいいのか?お前の家族をほっといてもいいのか?」彼の言葉は花火のように私の心に落ちて、広がっていた。そうだ、私はこのままにすると、弱者になってしまうんだ。でもなってはならない、私はまだ親孝行していない、弟の面倒を見ないといけない。心の底からわいてきた熱血がありました。お酒でしびれた心臓も働きました。山頂に立って、一望出来る都市のナイトが眩しく感じました。
2006年2月、ちょうど中国の旧正月、我が学校の留学生たちはまだ卒業のため一生懸命勉強しているとき、私は中国の実家に飛びました。二年ぶりに会った家族と村人がお客様のように私を迎えてくれました。そのとき、恋より重たい責任を感じました。その人たちの気持ちと期待を答えるように、がんばれる気持ちを持って日本に戻りました。そして、ほかの留学生やっと卒業し、国に帰らないといけない三月に、私はある日本の大手会社に就職することになりました。やっと気持ちを切り替えて、その影から抜き出した私はその思い出がいっぱいある四国から脱出し、東海に来ました。今も、がんばり続けています。
前日、長谷川さんは中国に留学しに行くこと、中華料理屋の社長から聞きました。一年ぶりに彼女にメールをしました。
「久しぶり、海悠です。中国に留学って聞いたよ。すごいですね。おめでとう。春休みにゆっくり休んで、中国に行ったらがんばってね、いつも応援します。長谷川さんとメールできることうれしいです。ありがとう。バイバイ…」
後書き
私は雑草ではありません、でも私は雑草のように、強い生命力をもち、どんな苦しい環境にも負けずにがんばって生きたいと思います。この文は雑草とまったく関係ありませんが、その題名はただ自分の思い込みでした。
長谷川さんとの物語はまだ終わっていないかもしれません、その当時の気持ちはすべて消す事はできませんでした。でもどんなことがあっても、もう二度と人生を諦めることがしません。ただ、彼女はいつも幸せに過ごせるよう、祈り続けています。
日本に来て二年目のことでした。お金なく、貧しい生活を毎日送った私、必死にバイトしていました。もちろん、勉強もがんばっていました。そんな環境の中で私には恋心を生まれるなんて思ってもいなかった。
ある日、バイト先の中華料理屋に新しいバイトさんが入った、かわいい女の子でした。○○大学の一年生で、19歳とか簡単の自己紹介から知っていました。記憶力あまりよくなかった私は彼女の名前も覚えていた、----長谷川 麻美。
その時、店にスタッフとして一緒に働いた人は奥さん以外、村上お婆さんと夏候君でした。村上さんはもう還暦の年齢ですが、いつも元気よく、やさしいおばあさんでした。夏候君は私と同じ、中国からの留学生で、まだ日本語学校にいました。(今は大学生でしょう)。奥さんも冗談好きの人で、とても明るい職場でした。
先輩である私は飲食業に長く働き経験があり、一番仕事できる人だったと思っていました。仕事以外も社長とかほかの人と仲良くできました。仕事はどんな忙しくても、私はいるから大丈夫ってみんなから言ってくれました。まるで自分はその店の主役でした。その中で、私の働き姿に惹かれてしまった人がいました。
いつもの通り、仕事を終え、皆帰ってあと、私もレジを閉め、今日の売上金を社長に渡してから、社長と同じ趣味のパソコンの話をしていました。思ってもいなかった一通のメールが届いていました。
「今日もお疲れ様でした。そんな忙しい中、ミスだらけの私に気をつけたこと本当にありがとうございます。ところで、海悠さんは私のことって子供しか思えないですか?」長谷川さんのメールでした。確かに、その日は忙しかった。料理を何度も間違った彼女に「大丈夫、ゆっくりでいいから」、「子供だから、許してあげる」など、声をかけました。その時どんなメールを返していたかもう覚えていませんが、それから、メールを毎日のように二人で送っていました。その中、こんなメールがありました。
「ゴウさんはみんなに優しいですけど、でも私みたいな子供に傷つくかもしれないよ。」
初めて二人きりになったときのことは今もはっきり覚えています。残業で二人だけ残っていました。毎日バイトと勉強しかわからなかった私は恋なんかもう忘れていたと思いました。少なくとも、彼女のその微笑を感じる前まではそう思いました。「海悠さんいつもすごくがんばっていますね。」仕事が終わりごろ、彼女はそういいました。「まあ、がんばらなきゃ、、、」頭を上がった瞬間に彼女と目が合いました。その目に埃なし、清水のように私の心の底まで清めていました。その無邪気の顔に一目惚れでした。その日、そのとき、その一瞬で、封印していた私の心が動いていました。
「海悠さん、私の顔汚れている?」
「いやいや、」私は笑いながら、「おかなすいたでしょう?一緒にご飯に行かない?」女の子大苦手の私は思わず彼女を誘いました。貧乏の私はしばらく食べたかった焼肉屋に行きました。
「お酒はだめよ、まだ二十歳になっていないから」
いつも優しいお兄さんのような私はそういいました。
でも「私、もう子供じゃないから」って言い返しました。そして、彼女はカクテルを注文しました。今思い出しても、その夜のご飯はおいしかったと思います。ご飯を食べ終わっても彼女ともうちょっと一緒にいたいですが、次の日にハードな勉強とバイトが待っていますから、しょうがなくわかれました。
多分その一瞬で惚れた私は最初から悲しみを味わうことを決まっていたかもしれなかった。そのときの私は恋する資格はなかったと思います。でも、初めてのデートはその後すぐでした。一緒にしゃべりながら、ケーキをたべて、映画も見ました。ここまでよかったのに、遊び放題センターに行こうって、私は言い出しました。でも、ちょっと遠いので、私は友達を呼び出して、バイクで彼女を送ってもらいました。情けない私はタクシー代を節約するためでした。その後も私の友達と三人で遊びました。今考えると、それは私の失敗の始まりでした。
同じ職場にバイトをしている私たちは、いつもの通り仕事をしていました。バイトをやめるまで、誰も私たちの展開が知らなかった。当時、自分から動いた恋はまだなかった私は大ばかだったって、今は思います。彼女とずっと一緒にいたい気持ちだが、毎日忙しくて、メールをする時間も惜しかった。そして日本語も難しかった。恋って言うものはがんばってもいい結果でないことが多いと思います。彼女とたびたび会いますし、仕事も一緒にいるのに、自分はどんなことしたらよいかわかりませんでした。店の厨房に働いているの慰さんって言う男がいました。いつから彼女と彼の話は多くなっていたかも気ついていなかった。ある時、「彼女は私の新しい恋人だよ」って、慰さんが冗談で言いました。「お前、彼女に…」、私は怒りそうでした。でも話は途中で止まりました。私はお前、彼女に手を出すなって言いたかった、でも彼女は私の彼女ではありません、私と彼女の関係は慰さんにもわかりません、怒りを抑えていた私は無言でその場を去っていました。自分は弱気になってしまいました。その弱い私はいまだに憎んでいます。もしそのときに戻ることできたら、私の人生も変わるでしょう。
それは慰さんのただの冗談だと思い、やはりバイトと勉強に励んでいました。学校で日本語一級合格し、いくつの資格も取りました。学校の優等生であった。でも、恋はまったく進んでいませんでした。しかも、自分の中では彼女のこともっと好きになっていました。彼女の微笑を見るだけで疲れを忘れます。週末が再び来ました。彼女と寸劇を見ることになりました。バイトが忙しくて延長になってしまった、待ち合わせ場所に行った時もう三十分も遅れていました。劇場のスタッフに聞くと、寸劇もう始まっています。彼女もう入っていました。スタッフに案内され、彼女の隣に座りました。目で謝って、自分は苦笑いしました。バイトで疲れた私は寸劇に興味がなかった上に、眠ってしまいました。それより、涎も流れっていました。その時点から私は彼女の彼氏になる資格はなくなったと思いました、、…日の帰りに、彼女は何かいいたがっていた気がしました。
クリスマスやってきました。ワークマシンの私も彼女にプレゼントをしたいと思いました。彼女はChristmas tree がほしいって言った記憶があったから、クリスマスの一ヶ月前に黙ってChristmas tree を送っていました。いつものとおり、バイトが終わったのはもう夜十時半でした。例のラーメン屋においしいラーメンを食べていました。食べているところに彼女からメールがありました。
「海悠さん、すみません、そのChristmas tree を受け取ることができません、だって私はゴウさんの彼女じゃないから。」
その夜、おいしいラーメンが半分も残りました。
まだあきらめていない私は改めて彼女の家に行って、告白することにしました。とても見苦しい告白でした。知りたくなかったこともひとつありました。それは彼女が慰さんの事好きになったかもしれないって言うことでした。そのときの私はもう思い出したくないんだ。ただ、自分の日記に、2005年11月14日、災厄の日って書きました。
彼女に出会ってからいろいろを思い出し、恋の経験が浅かった自分のこと許せなかった、ワークマシンみたいな自分のことも許せなかった。そしてすべてのバイトをやめました。学校で奨学金をもらっている私は単位もう十分卒業できます。暇になった私の唯一の友達はお酒でした。自分の部屋はまもなく、空瓶、から缶の世界になりました。人生初めての恋心はお酒と一緒に飲み込んで、トイレに流れました。そんな日々の間も彼女と何回あったこともありました。なぜ会うか、何のためあうか、どんなことを話したか、まったくわかりませんでした。中華料理屋の忘年会の後も彼女と朝まで一緒にいました。お酒を水のように飲んでいました。最後まで彼女と抱き合うことなかったって言うか、彼女を抱きしめる勇気がなかった。
お酒のおいしさを味わう日々を続いていました。もし、その友達来ないと、今の私は日本にいないでしょう。自分はどうなっているかもわからないでしょう。お正月の夜、ずっと電話に出ない私のことを心配で、親友はバイクで私のところに来ました。一緒に飲みたいって思っていたそうです。でもその腐った私の部屋の光景を見たら、親友は私を連れ出した。バイクの後ろに乗っていた私も飲み続けました。一月の寒い風にも感じませんでした。終点はひとつの知らない山の山頂でした。その都市を一覧できるところで、きれいな夜景でした。そこで、その知り合った10年の親友が僕と一緒に一ケースのビールを飲んでいました。
「お前、ここから見ろ、ここは日本だ、お前の家族は海の向こうにいる。お前の友達も、家族も向こうでおまえをまっているんだ。日本に来た時の事がまだ覚えているか?そのときの俺たちは、お金がなく、学費さえなかったんだ。毎日カップ面をばっかり食っていた。そんな苦労した日もあったんだ。なのに、今のお前見て見ろ、その元気の姿はどこにいた?ただひとつの恋の失敗で、こんなに落ち込むのか?このまま続くと、お前はこの島国に死んでもいいのか?お前の家族をほっといてもいいのか?」彼の言葉は花火のように私の心に落ちて、広がっていた。そうだ、私はこのままにすると、弱者になってしまうんだ。でもなってはならない、私はまだ親孝行していない、弟の面倒を見ないといけない。心の底からわいてきた熱血がありました。お酒でしびれた心臓も働きました。山頂に立って、一望出来る都市のナイトが眩しく感じました。
2006年2月、ちょうど中国の旧正月、我が学校の留学生たちはまだ卒業のため一生懸命勉強しているとき、私は中国の実家に飛びました。二年ぶりに会った家族と村人がお客様のように私を迎えてくれました。そのとき、恋より重たい責任を感じました。その人たちの気持ちと期待を答えるように、がんばれる気持ちを持って日本に戻りました。そして、ほかの留学生やっと卒業し、国に帰らないといけない三月に、私はある日本の大手会社に就職することになりました。やっと気持ちを切り替えて、その影から抜き出した私はその思い出がいっぱいある四国から脱出し、東海に来ました。今も、がんばり続けています。
前日、長谷川さんは中国に留学しに行くこと、中華料理屋の社長から聞きました。一年ぶりに彼女にメールをしました。
「久しぶり、海悠です。中国に留学って聞いたよ。すごいですね。おめでとう。春休みにゆっくり休んで、中国に行ったらがんばってね、いつも応援します。長谷川さんとメールできることうれしいです。ありがとう。バイバイ…」
後書き
私は雑草ではありません、でも私は雑草のように、強い生命力をもち、どんな苦しい環境にも負けずにがんばって生きたいと思います。この文は雑草とまったく関係ありませんが、その題名はただ自分の思い込みでした。
長谷川さんとの物語はまだ終わっていないかもしれません、その当時の気持ちはすべて消す事はできませんでした。でもどんなことがあっても、もう二度と人生を諦めることがしません。ただ、彼女はいつも幸せに過ごせるよう、祈り続けています。
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